【総点検・マレーシア経済】第554回:アンワル首相は「台湾武力統一」を容認したのか

第554回:アンワル首相は「台湾武力統一」を容認したのか

8月16日、カタールの放送局アルジャジーラがアンワル首相のロングインタビューを放送しました。タイトルは「偽善的な世界秩序における独立外交 (Independent Diplomacy in a Hypocritical World Order)」。この中で、アンワル首相が中国の武力による台湾統一を容認するかのような発言をしたことがニュースになっています。

タイトルの通り、インタビューのテーマは、マレーシアが米中対立の中でどのように中立的な外交姿勢を保っているか、という点です。この中で、インタビュアーが次のように問いかけました。「世界の多くの国は台湾を中国の一部と認めていますが、台湾の人々は北京による統治を望んでいません。これをどう考えますか」と。

アンワル首相は、そこには歴史的な経緯がある、と答えます。しかし、結論として「台湾は中国の一部と考えています。以上。(I see Taiwan as part of China, period.)」と述べています。

インタビュアーが食い下がります。「中国は、平和的な再統一がうまくいかない場合には武力行使の権利を留保するとしています。それを非難しますか」と。

アンワル首相は答えます。「マレーシアを例に答えましょう。1つの州が離脱を決めたと。我々は軍事力(force)を使うか?私は国の尊厳と統一を守ると思いますよ」

インタビュアーが確認します。

「つまり、あなたは軍事力を使うと?」

「はい。そうしなければ、国は分裂する……あなたは私に何を言わせたいのですか?」

これは日本人が一般的に考えるような「インタビュー」ではありません。かなり強い主張をインタビュアーがぶつけ、回答に反論し、矛盾を突き、相手を追い込むような世界標準のスタイルです。

その後、この件について、アンワル首相は8月20日に記者団に対し、「一つの中国政策は(国交を回復した)ラザク時代からだ。この政策は維持されており、われわれはそれを実践している。そして当然、平和的な道を探すべきだと考えている」と述べました。

マレーシア政府の台湾に対する立場は、政権によって揺れてきました。

2016年にナジブ首相が訪中した際の共同声明では一つの中国という政策を維持し「両岸関係の平和的発展と中国の平和的統一を支持する」と述べました。

2018年のマハティール首相の訪中では、一つの中国という政策を維持するとだけ述べ、統一については語りませんでした。

2024年のアンワル政権下での李強首相の訪馬では一つの中国という政策の維持に加えて「マレーシアは、中国が国家統一を実現するためには、台湾が中華人民共和国の不可侵の一部であることを認識しており、台湾の独立を求めるいかなる主張も支持しない」と踏み込みました。2025年の習近平国家主席訪馬の際の声明でも、ほぼ2024年の立場を繰り返しました。

つまり、「一つの中国」というマレーシアの立場自体は一貫しています。ただし、その先の表現は政権ごとに異なり、ナジブ期には「平和的統一の支持」が語られ、マハティール期には統一への言及が消え、アンワル期には「平和的」の語が落ちています。

今回のアンワル首相の発言は、2024年および2025年の共同声明と整合的です。中国の台湾武力統一に直接的に言及したのではなく、もしマレーシアならば、と語ったものです。それでも言い過ぎたと思ったのか、直後に「何を言わせたいのですか?」と言葉を濁しています。

では、なぜアンワル政権は2024年に中国に対して一歩譲歩したのでしょうか。2024年は台湾で頼清徳総統が就任、2025年にマレーシアと中国の国交樹立50周年を控えていました。。

アンワル首相は、台湾問題での立場変更を比較的コストの低いカードとみていた可能性があります。こうした大国への譲歩は、小国マレーシアのバランス外交において不可避な代償です。実際、2025年の米馬相互貿易協定(ART)でも、経済安全保障面で大幅な妥協を行っています。

以上のように、今回のアンワル発言は従来の立場から逸脱したものではなく、譲歩自体は2024年の時点で行われていました。中立外交は「孤高」に映りがちですが、実際には全方位に適切に「媚びる」技術こそが求められるのです。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

【イスラム金融の基礎知識】第599回 バンク・イスラムの会長が交代

第599回 バンク・イスラムの会長が交代

Q: バンク・イスラムの新会長に就任した人物は?

A: マレーシアのバンク・イスラムが証券取引所に提出した書類によると、6年間会長を務めた元財務省・運輸省事務次官のイスマイル・バカール氏が8月22日に退任し、新たにワン・モハマド・ファズミ氏が27日付で独立非執行会長(independent non-executive chairman)に着任した。

ファズミ氏は60歳のマレーシア人で、オーストラリアのRMIT大学で経済学の学士号を取得、その後は米ペンシルベニア大学やオックスフォード大学では経営学を学んだ。その後、30年以上にわたりマレーシアの金融業界に携わってきた。主要な経歴としては、民間ではメイ・バンクやRHB銀行の上級管理職、チューリッヒ・タカフル・マレーシアやチューリッヒ・ゼネラル・タカフル・マレーシアなどの取締役、日系銀行のマレーシア現地法人の会長などを歴任した。政府系金融機関ではアグロバンクの社長兼CEO、マレーシア開発銀行の独立非執行取締役、さらにラブアン金融サービス庁の会長の経験もある。

長年のキャリアの中でもイスラム金融への関わりが深く、イスラム金融専門家公認協会のイスラム金融公認専門家の資格を有する。また、アグロバンク在籍中の2016年には、グローバル・イスラム金融アワードの最優秀CEO賞を受賞した。このときは、アグロバンクも農業分野におけるイスラム式のマイクロファイナンスを推進した功績で最優秀イスラム金融事例賞を授与されている。

独立非執行会長とは日本ではあまり聞きなじみのない役職だが、取締役会の議長であるが会社や株主から独立しており、会社の日常的な業務を行わない非常勤的な立場である。バンク・イスラムのウェブサイトでは、すでに同氏について経営陣の紹介ページにて最初に取り上げている。同職が最高職であることを示すものである。

 

福島 康博(ふくしま やすひろ)
立教大学アジア地域研究所特任研究員。1973年東京都生まれ。マレーシア国際イスラーム大学大学院MBA課程イスラーム金融コース留学をへて、桜美林大学大学院国際学研究科後期博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2014年5月より現職。専門は、イスラーム金融論、マレーシア地域研究。

【従業員の勤労意欲を高めるために】第928回:危機になると、従業員が会社を見る目は変わる

928回:危機になると、従業員が会社を見る目は変わる

前回は、農業を題材に、短期的な効率化が長期的には弱さにつながる可能性について紹介しました。今回は企業に戻り、経済危機が従業員の意識をどう変えるのかについて考えてみます。

従業員が「この会社で働き続けたい」と思う理由は一つではありません。上司の支援、同僚との関係、仕事の裁量、報酬の公平性など、さまざまな要因があります。しかし、こうした要因の重要性は、いつでも同じなのでしょうか。

この疑問を調べるため、拙稿では中国にある日系企業4社で2007年から2011年に実施した従業員意識調査を分析しました。この期間には2008年の世界金融危機、いわゆるリーマン・ショックが含まれています。分析対象は1万1507件でした。

興味深い変化が見られたのが、世界市場向けの電子部品を生産していた製造会社です。この会社では、金融危機後、「報酬が公平である」と感じることと組織コミットメントとの関係が大きく強まりました。一方、他の3社では同じ変化は見られませんでした。

さらに、この製造会社の生産部門を詳しく調べると、一般従業員では、報酬の公平性と組織コミットメントとの関係が危機前の0.415から危機後には0.599へと約44%強まりました。ところが監督者では、0.526から0.557へとほとんど変化しませんでした。

なぜでしょうか。会社の先行きが不透明になると、一般従業員は「会社は自分をきちんと扱ってくれるのか」を判断する材料として、給与、評価、昇進などの公平性を、それまで以上に重視するのかもしれません。監督者は会社内部の情報や裁量を比較的多く持つため、その影響を受けにくかったと考えられます。

重要なのは、危機になると何もかも重要になるわけではないことです。上司の支援、同僚との関係、裁量なども含めて分析すると、危機後に重要性が明確に増したのは報酬の公平性だけでした。

これは「危機になったら給料を上げればよい」という話ではありません。むしろ、給与や評価がどのように決まり、なぜその結果になったのかを従業員が納得できることが重要です。

従業員の勤労意欲を高める方法には、いつでも通用する正解があるわけではありません。環境が変われば、従業員が会社を見る物差しも変わる。不確実な時代の人事には、この視点がますます重要になるのではないでしょうか。

論文情報は以下。末尾のURLから概要をご覧いただけます。

Kokubun, K. (2026). When fair rewards matter more: Economic crisis, employee position, and organizational commitment in Japanese subsidiaries in China. Human Resource Management Journal, Early View. https://doi.org/10.1111/1748-8583.70061

 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【総点検・マレーシア経済】第553回:マレーシアの輸出、どこまでAIバブル?

第553回:マレーシアの輸出、どこまでAIバブル?

7月20日、マレーシアの6月の輸出額が前年同月比で45.4%増と発表されました。国別では、米国が首位で前年同月比108.6%増、2位がシンガポールで47.6%増、3位が中国で36.1%増となりました。図1は上位3カ国の輸出額の変化を3カ月移動平均でみたものです。ここ数カ月で、米国向けの輸出がさらに一段増加していることが分かります。

表1は2026年上半期の米国向けの輸出をHSコード6桁レベルで示したものです。総額では54.8%増と大幅に増加しています。輸出額の首位は「集積回路の部分品」で前年同期比で約5倍になっています。これは実際には何なのかと考えると、ヒントは米国側の統計にあります。米国側で、この金額と見合うのは「PC等用プリント基板(8473.3011)」です。これは、連載521回でも登場していますが、その時は、マレーシア側で見合うのが「パソコン用処理装置(8471.50)」だったので、ノートPC用のプリント基板と推測しました。

今回は、マレーシア側の分類ではが「集積回路の部分品」なので、ノートPCの基板よりもさらにモジュール寄りであり、この金額の急増ぶりから考えると、「AI半導体関連のモジュール」であると推測されます。

輸出額の2位「プロセッサ・コントローラ」はインテルのCPUに代表されるプロセッサ半導体の完成品で、前年同期比約6割増となっています。3位の「半導体メモリー装置」はSSD、4位の「ICメモリー」はSSDになる前のNANDフラッシュメモリと考えられ、前者が3.4倍増、後者が4.5倍増となっています。

1位のPC等用プリント基板の数量を米国側の統計で見ると、前年同期比25%増にとどまっており、3位の半導体メモリー装置については30%減少しています。ということは、米国への輸出の大幅な伸張は、AIブームによる輸出単価の高騰によるところが大きいと結論できます。

ということは、今回のAIブームが終焉を迎えた際には、特に米国向け輸出額が一気に3割、5割というオーダーで減少する、ということが考えられます。現状は、あくまでも「AIブームによる特異な状況」と考えた方が良いでしょう。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【イスラム金融の基礎知識】第598回 パキスタン、女性従業員の服装をめぐる議論

第598回 パキスタン、女性従業員の服装をめぐる議論

Q: パキスタンのイスラム銀行の女性従業員の服装をめぐる議論があるようですが?

A: パキスタンの上院委員会において、イスラム銀行の女性従業員の服装とその規定をめぐる議論が行われた。ムスリム女性のファッションのあり方は、国によって異なっており、その一端を表す事例とみることができる。

議論は7月29日の上院財政歳入常任委員会で行われた。ザルカ・スハルワルディ・タイムール上院議員によれば、イスラム銀行では「女性従業員は(生地が厚く透けないアラブ風の)アバヤの着用を強制されているが、男性従業員は服装を自由に選ぶことができる」と指摘した。シェリー・レーマン上院議員も、「いかなる従業員も特定の服装を強制されるべきではない」と主張した。また同議員は、故ベンナジール・ブット元首相も愛用したシャルワール・カミーズという薄手の布で紙の露出をある程度許容する伝統的民族スタイルで十分だとしており、アバヤの着用義務規定に異議を唱えた。これに対してパキスタン中央銀行のジャミール・アハメド総裁は、中央銀行は市中銀行に対して特定の服装を強制したことはなく、控えめな服装(モデスト・ファッション)の順守だけを求めた既存のガイドラインを周知徹底すると答えた。

働くムスリム女性のファッションをめぐっては、法律や世論、イスラム法の解釈などを背景として、イスラム諸国の間でも隔たりがある。特に企業における接客担当のスタッフの制服の場合は、マレーシアでもかつて外資系のホテルや百貨店でのトゥドゥンの着用が論争の的になったことがある。とりわけ髪をすべて隠すベールの着用は、本人の信仰が優先されるか、あるいは企業や国が強制できるのか、また、最近のマレーシアでのユニクロの商品をめぐる議論のように、イスラムの観点からみた正しいファッションとは何かという点での見解の違いもあるので、論争は複雑化する傾向にある。

福島 康博(ふくしま やすひろ)
立教大学アジア地域研究所特任研究員。1973年東京都生まれ。マレーシア国際イスラーム大学大学院MBA課程イスラーム金融コース留学をへて、桜美林大学大学院国際学研究科後期博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2014年5月より現職。専門は、イスラーム金融論、マレーシア地域研究。

 

【総点検・マレーシア経済】第552回:マレーシアの2026年上半期の自動車市場

第552回:マレーシアの2026年上半期の自動車市場

2026年上半期のマレーシアの自動車産業の状況を見ると、プロトンの好調と電気自動車(BEV)とハイブリッド車(HEV)の伸張が目立ちました。図1は2025年と2026年の1〜6月の自動車登録台数を燃料別に比較したものです。全体ではほぼ前年並みで推移する中で、BEV+HEV=xEVの伸びが際立ちます。2025年上半期の販売に占めるxEV比率は6〜9%台でしたが、2026年上半期は10〜16%で推移し、右肩上がりになっていることが分かります。

表1はすべての自動車販売についてのモデル別の上位10車種を示したものです。プロドゥアのBezzaとプロトンのSagaが首位を争い、8位のホンダCityを除くとプロドゥアとプロトンが独占、10位にはBEVのe.MAS 5が入っています。上半期で比較すると、プロドゥアは15.8万台で前年の16.6万台から4.9%減です。販売に占めるBEV比率は僅か0.1%となっています。一方のプロトンは9.8万台で前年の7.0万台から40.5%増となっています。販売に占めるBEV比率は13.8%、HEVは4.2%、合計すると2割近くをxEVが占めています。

表2は2026年上半期のマレーシアのBEV/HEVの登録台数の上位10車種です。プロトンのe.MAS 5が首位、さらにe.MAS 7が2位と4位に入っています。xEV市場でのプロトンのシェアは約3割に達します。

中国国内でもベストセラーであるGeely「星愿」のマレーシア版であるe.MAS 5の好調ぶりが目立ちます。プロドゥアがBEV/HEV生産に遅れをとるなかで、対抗馬となるのはBYDのAtto 3です。ただ、ここで立ちはだかるのがマレーシア政府が7月1日から施行したBEVのCBU輸入はCIF価格RM200,000以上かつ出力180kW(245PS)以上に限るという新規制です。Atto 3はこの基準を満たせないため、今後輸入できなくなります。

BYDは2025年8月にマレーシア工場の建設を発表していますが、条件面で折り合いがつかず、現在、工事がストップしていると報じられています。そうなると、e.MAS 5/7の対抗はトヨタのカローラ・クロスとヴィオスのHEVとなります。これらはブキット・ラジャの工場で組み立て・生産されています。

強力なライバルになり得るのはプロドゥアのBEV/HEVですが、自社設計のBEVであるQV-Eは生産が難航しており、HEVもようやくAtiva Hybridについて、5月に日本の経産省のグローバルサウス補助金を使って現地生産することが決まったところです。来年とみられるMyviのフルモデルチェンジでも、HEV版がどうなるかはまだ明らかではありません。

以上のように、今後も拡大するxEV市場において引き続きプロトンが強さを見せるとみられ、その好調さはしばらく続きそうです。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【イスラム金融の基礎知識】第597回 フィリピンの政府系イスラム銀行、会長兼CEOに元予算管理相が就任

第597回 フィリピンの政府系イスラム銀行、会長兼CEOに元予算管理相が就任

Q: フィリピンの政府系イスラム銀行の会長兼CEOに就任した人物は?

A: フィリピン唯一の政府系イスラム銀行であるアル・アマナ・イスラム投資銀行では、7月に新しい会長兼CEOが就任した。中銀副頭取や経済閣僚を経験したムスリムである彼女の就任を歓迎する声がある一方、前職を不明瞭な形で辞任したことに対して疑義が呈されている。

同銀行の会長兼CEOに就任したアメナ・パンガンダマン氏は、ミンダナオ島南ラナオ州出身の48歳のムスリムで、マラナオ族の王族の血筋をひく。2021年にフィリピン中央銀行の副頭取に就任、2022年からはマルコス政権の予算管理相に転身しておよそ3年半務めた。就任に際して彼女はインタビューで「取り残されてきた人びと(同国南部を中心に暮らすフィリピノ・ムスリムたち)に機会を提供する、より強力な組織の構築に貢献する」と抱負を語った。

彼女の会長兼CEO就任に対しては、国内ムスリム・コミュニティから歓迎する声が上がっている。例えば、スールー州知事のアブドゥサクル・タン知事は、インタビューに対して、彼女のキャリアを通じて「イスラム金融セクターを導くために必要な、的確な財政感覚と金融に関する洞察力」が培われているだろうと期待を示している。

一方で、彼女の就任に対する疑問の声も上がっている。予算管理相時代において、洪水対策予算を一部の企業に集中させたことが問題視され、2025年11月には同職を辞した。この件について訴追等を受けることがなく疑惑が晴れていない中、わずか8ヶ月後の今回、再び政府系ポストに復帰したことで、一部で批判を集めている。これに対して大統領府は、「問題なし」との声明を発表した。

イスラム金融市場を民間に開放して間もないフィリピンにとって、政府系イスラム銀行の強化は市場拡大に重要な点であるが、新しい経営者の手腕に期待にかかることは確かであろう。

福島 康博(ふくしま やすひろ)
立教大学アジア地域研究所特任研究員。1973年東京都生まれ。マレーシア国際イスラーム大学大学院MBA課程イスラーム金融コース留学をへて、桜美林大学大学院国際学研究科後期博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2014年5月より現職。専門は、イスラーム金融論、マレーシア地域研究。

【総点検・マレーシア経済】第551回:マレーシアの2026年第2四半期の経済成長率(推計値)は5.8%増

第551回:マレーシアの2026年第2四半期の経済成長率(推計値)は5.8%増

7月17日に発表されたマレーシアの2026年第2四半期の経済成長率(推計値)は前年同期比5.8%で、第1四半期の5.4%からさらに加速しました。これにより、2026年前半の経済成長率は5.6%となり、現在の政府予測である4.0%~5.0%の上限を超えています。予想以上に強い数字で、下半期にホルムズ海峡危機の影響が出てきたとしても、政府予測の達成はほぼ確実、上振れの可能性もあると言えるでしょう。

2026年第2四半期の部門別GDPでは製造業の伸びが7.5%となり、第1四半期の5.9%からさらに加速しています。サービス業についても5.4%(第1四半期:5.6%)で、好調と言える状況が続いています。

2026年第1四半期時点での見通しは、必ずしも明るくありませんでした。月次のGDP成長率は1月~3月に、6.8%、5.2%、4.1%と急速に低下していたからです。筆者は本連載第547回で「もし世界的にホルムズ海峡危機を主因とした原材料のサプライチェーンが大きく混乱した場合、マレーシアの2026年の経済成長率は3%台半ばまで下落することはありうる」と悲観的な見方を示しています。

しかし、その後の状況は予想と全く違う方向で推移しています。ホルムズ海峡危機は引き続き予断を許さないものの、実体経済への影響は最小限に留まっています。生産者物価指数は4月が5.4%上昇、5月は7.8%上昇と大きく上昇していますが、消費者物価の上昇は5月が2.0%、6月が1.9%と低く抑えられています。

2026年5月の輸出は前年同月比45.3%増と爆発的な伸びを見せ、特に米国向けの輸出は97.7%増とほとんど2倍になっています。シンガポール向けが40.4%増、中国向けが27.8%増と全面的に好調です。

バンクネガラは7月9日に金融政策決定会合を開き、政策金利を2.75%に据え置きました。ホルムズ海峡危機は依然としてリスク要因であるものの、堅調な内需と予想以上の輸出の伸びに支えられて経済は好調であるという認識を示しています。

ホルムズ海峡危機が下振れリスクとしては残るものの、2026年のマレーシア経済は未曾有のAIブームに乗って好調に推移していると言えるでしょう。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

 

【従業員の勤労意欲を高めるために】第927回:効率化は本当に正しいのか――農業から学ぶ「短期最適化」の落とし穴

第927回:効率化は本当に正しいのか――農業から学ぶ「短期最適化」の落とし穴

前回は、仕事への熱意(ワーク・エンゲージメント)が職種によって異なる意味を持つ可能性について紹介しました。今回は少し視点を変え、農業と食料安全保障のお話です。

近年、世界では「効率化」が重視されています。農業でも同じです。限られた作物に生産を集中させれば、大規模化によって生産効率が上がり、コストも下がります。市場で競争力を持ちやすくなり、食料も安定して供給できるようになります。

では、作物を絞って効率化を進めることは、長期的にも良いことなのでしょうか。この疑問を調べるため、拙稿ではFAO(国連食糧農業機関)の世界の農業データを用い、1961年から2022年までの170か国以上の農業生産構造を分析しました。そして、その国でどれだけ特定の作物に生産が集中しているかを示す指標を作成し、食料不足との関係を調べました。

分析すると、一見すると意外な結果が得られました。作物への集中が進んでいる国ほど、その時点では食料不足が少ない傾向があったのです。効率化によって生産性が高まり、人々が十分な食料を得やすくなっていると考えられます。

ところが、時間の経過を考慮すると話が変わります。現在の農業構造ではなく、3年前の農業構造が現在の食料不足とどう関係するかを調べると、今度は逆の傾向が見えてきました。作物への集中が続いた国ほど、食料不足が増える可能性が示されたのです。統計的には境界的な結果であり慎重な解釈が必要ですが、「短期のメリット」と「長期のリスク」が異なる可能性を示しています。

なぜでしょうか。特定の作物に依存すると、その作物が干ばつや病害虫、価格変動などの影響を受けたとき、農業全体が大きな打撃を受けます。効率は高くても、変化には弱くなるのです。

実は、この考え方は企業経営にもよく似ています。短期的な成果だけを追い求めると、人材や事業を一つの方向へ集中させた方が効率は高まります。しかし、市場環境が変化したとき、新しい技術が現れたとき、その組織は柔軟に対応できるでしょうか。

経営学では、「活用(Exploitation)」と「探索(Exploration)」のバランスが重要だと言われています。現在の強みを徹底的に伸ばすことも必要ですが、将来に備えて新しい可能性を育てることも同じくらい重要です。

効率化そのものが悪いわけではありません。しかし、短期的な効率だけを追い求めると、長期的な強さを失うことがあります。これは農業だけではなく、企業経営や組織づくりにも共通する教訓なのかもしれません。

論文情報は以下。末尾のURLから概要をご覧いただけます。

Kokubun, K. (2026). Agricultural Production Structure and Food Insecurity: Evidence From Global Crop Data. Sustainable Development, Early View. https://doi.org/10.1002/sd.71452

 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【イスラム金融の基礎知識】第596回 マレーシアと比較したトルコのイスラム銀行の特徴

第596回 マレーシアと比較したトルコのイスラム銀行の特徴

Q: マレーシアと比較した場合のトルコのイスラム銀行の特徴は?

A: 1983年にイスラム銀行制度が始まったマレーシアとトルコだが、現在の普及の程度は大きく異なる。この違いはどこから生じたのか、トルコ側から分析を試みた論文が2025年に発表された。トルコ・セルジューク大学経済学部のスクル博士とアフメッド博士の共同論文「マレーシアとトルコのイスラム銀行の比較」で、トルコの合わせ鏡としてのマレーシアの姿をみてみたい。

論文では、2006年から2023年までの両国のイスラム銀行の主要データの比較を行っている。中でも2003年の支店数と従業員数は、マレーシアの方がトルコよりも1.5倍多い。総人口やムスリム人口比率ではトルコが高いにもかかわらず、両数値はマレーシアが高い数値を示していることから、筆者たちは注目すべき点だと強調している。またこれらは堅調に増加している一方、2016年にはともに減少した。ただし理由は異なるとしており、トルコでは業務停止したイスラム銀行があったのに対して、マレーシアではオンラインの普及や合理化で店舗統合が進んだ結果だとしており、金融機関の発展段階にも差があるとみている。

マレーシアの普及はシェア率の高さにも表れている。両国ともイスラム銀行と従来型銀行が併存しているため、銀行部門に占めるイスラム銀行のシェア率で普及の度合いを測れる。論文によれば、2023年の総資産・融資残高・預金残高それぞれに占めるイスラム銀行の割合は、マレーシアでは36~45%だが、トルコでは7~10%にとどまっている。トルコがマレーシアほどのシェア率に至っていない理由として筆者たちは、トルコ経済の不安定化や政府・中央銀行による金融引き締め政策の実施などを挙げている。ただ、両国のイスラム銀行ともコロナ禍からの影響は少なかったとしており、イスラム銀行の経済危機への底堅さがあるとしている。

福島 康博(ふくしま やすひろ)
立教大学アジア地域研究所特任研究員。1973年東京都生まれ。マレーシア国際イスラーム大学大学院MBA課程イスラーム金融コース留学をへて、桜美林大学大学院国際学研究科後期博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2014年5月より現職。専門は、イスラーム金融論、マレーシア地域研究。