【総点検・マレーシア経済】第557回:2027年予算案はかなり「堅実」

第557回:2027年予算案はかなり「堅実」

10月9日、マレーシアの2027年予算案が下院に上程されました。歳入は2026年見込みより4.7%増の3808億リンギとなる見通しです。経常支出は3.8%増に抑え、開発支出も830億リンギと前年の810億リンギから若干の積み増し、結果として財政赤字のGDP比は2026年の3.5%から3.3%に縮小する見込みです。

税収の伸びは、SST(9.5%増)、所得税(6.2%増)、法人税(4.8%増)の増収に支えられています。また、ペトロナスによる配当も前年の270億リンギ(改訂後)から320億リンギへと増加が見込まれています。歳入に占める石油・ガス関連の収入は16.1%で、2009年に40%を超えていたことからすると、健全な範囲に収まっています。

経常支出は3768億リンギと前年の3631億リンギから3.8%増に抑えられていますが、2026年実績は当初見込みから大幅に増加し、前年比で9.8%増となっていました。これは、原油価格高騰に伴って燃料補助金が膨らんだためです。2025年の補助金支出は改革によって前年比18%減の553億リンギに抑えていましたが、2026年には34.7%増の745億リンギにまで増加、2027年は2.3%減の727億リンギとなることが見込まれています。

開発支出は2.5%増と微増に留まります。前年比で大きく増えているのは住宅(15.4%増)で、予算演説でもいくつかのプロジェクトに触れられています。続いてエネルギー・水道分野の10.5%増、その他一般管理費が10.4%増で、政府のデジタル化などに使われるとみられます。

低・中所得層への給付金(STR)は、低所得層で用途が限定される電子配布(SARA)へと一部付け替えられましたが、STRとSARAの合計は、ほぼ横ばいです(月収2501〜5000リンギの世帯は変更なし)。ただし、2026年にあった全国民向けの100リンギの1回払いは、2027年はSTR非受給者だけが対象となるため、STR受給者の受取額はやや減額となる一方、STRとSARAを受給していない18歳以上にとっては、100リンギの特別配布が1回から2回になり、100リンギの増加となります。いずれにせよ、総額に大きな変更はありません。

2027年予算案は原油価格高騰で燃料補助金が膨らむ中、総じて堅実な予算であると言えます。2027年には総選挙が行われる可能性が高いことを考えれば、公務員や高齢者向けの給付を除けば「大盤振る舞い」とは言えないでしょう。

一方で、最低賃金は現在の月額1700リンギから2000リンギへと2027年6月より大幅に引き上げられます。準熟練職と大卒者に月2500リンギの「最低初任給」が設定され、GLC/GLICの職員については最低賃金目標が3100リンギから3400リンギに引き上げられます。

財政状況が厳しい中で予算を抑制する一方で、最低賃金を上げるので許して、というのが本音かもしれません。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

【イスラム金融の基礎知識】第601回 イスラム銀行と同規模の日本の銀行

第601回 イスラム銀行と同規模の日本の銀行

Q: 東南アジアのイスラム銀行は、日本のどの規模の銀行に相当しますか?

A: 前回は、シンガポールの金融情報リサーチ会社であるTABインサイツ社が昨年発表したランキング「世界のイスラム銀行の強度トップ100行」に基づき、マレーシアのイスラム銀行の動向を探った。今回は、同社が同時期に発表したランキング「世界最大1,000銀行2025年版」を手がかりに、東南アジアのイスラム銀行と日本の銀行の規模を比較してみたい。

このランキングは、世界100か国以上の銀行を対象に総資産のトップ1,000行を順位付けたものである。日本からは74行がランクインしている一方、東南アジア各国ではベトナムの23行をはじめ、インドネシア16行、マレーシア12行、フィリピン11行、タイ10行、シンガポール7行、ブルネイ1行などとなっている。このうちイスラム銀行はマレーシアの3行とブルネイ1行であった。総資産に基づくランキングであるため、日本の同規模の銀行と比較が可能だ。

・第620位:バンク・イスラム、総資産216.50億米ドル。同規模の日本の銀行:千葉興行銀行(本社:千葉県、第618位)同216.82億米ドル。

・第781位:MBSB銀行、総資産128.64億米ドル。同規模の日本の銀行:清水銀行(本社:静岡県、順位796位)同120.69億ドル。

・第855位:バンク・ムアーマラート、総資産97.65億米ドル。同規模の日本の銀行:北日本銀行(本社:岩手県、第839位)同101.93億米ドル。

・第911位:バンク・イスラム・ブルネイ・ダルサラーム、総資産82.39億米ル。同規模の日本の銀行:但馬銀行(本社:兵庫県、第888位)、同87.55億米ドル。

このデータは、マレーシアやブルネイのトップレベルのイスラム銀行は、日本の地銀や第二地銀で各都道府県の中堅銀行と同程度の規模であることを示している。

 

福島 康博(ふくしま やすひろ)
立教大学アジア地域研究所特任研究員。1973年東京都生まれ。マレーシア国際イスラーム大学大学院MBA課程イスラーム金融コース留学をへて、桜美林大学大学院国際学研究科後期博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2014年5月より現職。専門は、イスラーム金融論、マレーシア地域研究。

【総点検・マレーシア経済】第556回:8月の台湾からの輸入が急増。要因は?

第556回:8月の台湾からの輸入が急増。要因は?

9月18日、統計局はマレーシアの8月の貿易統計を発表しました。輸出額は前年同月比45.5%増、特に米国向けの輸出は130.4%増の375億リンギに達し、AIブームは衰え知らずとなっています。

一方で、注目されるのは輸入です。8月のマレーシアの輸入額は41.1%増となり、中国からの輸入が61.3%増、シンガポールからの輸入は59.1%増となりましたが、特筆すべきは台湾からの輸入が68.9%増(図参照)となりシンガポールを抜いて国別で2位になったことです。

台湾からの輸入は、2010年代までは中国、シンガポール、日本、米国に次ぐ5位グループでしたが、2010年代後半から増加し、ここ数年で上位3カ国に入るようになりました。

表は2026年8月のマレーシアの台湾からの輸入をHSコード10桁でみたものです。急増しているのは1位のメモリIC、3位のGPUモジュール等で、いずれも前年同月比5倍以上になっています。AIブームの輸入側への影響がここに現れています。

 

同時に、6位のサーバー等も20倍以上に増加しています。これは、マレーシア国内でのデータセンター建設ブームに対応していると考えられます。

近年、インテルの米国での前工程の微細化が停滞したことで、TSMCへのコンピュートチップ前工程の生産委託が本格化しました。これにより、台湾=前工程、マレーシア=後工程という協業が深まっています。

インテルはペナンの新拠点で、EMIB(Embedded Multi-die Interconnect Bridge)と呼ばれる先端パッケージング技術を2026年下半期に導入する予定です。GoogleやAmazonなどがAIチップの前工程をTSMCに、後工程をインテルに委託することが報道されていますが、ペナンも先端後工程の一翼を担うと考えられ、2027年以降はこうした分業によっても、マレーシアの台湾からの半導体の輸入は増加する見込みです。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【従業員の勤労意欲を高めるために】第929回:仕事が変わると、性格の意味も変わる

第929回:仕事が変わると、性格の意味も変わる

前回は、経済危機になると、従業員が会社を見る物差しが変わる可能性について紹介しました。今回は、従業員自身の「性格」について考えてみます。

職場では、「協調性が高い人」が好まれることが少なくありません。周囲に配慮し、人と協力し、対立を避ける。確かに、多くの仕事で役立ちそうな性格です。

しかし、同じ性格でも、どんな仕事をしているかによって意味が変わるのではないでしょうか。

この疑問を調べるため、拙稿では22~66歳の働く男女175人について、性格とMRIで測定した脳の灰白質量との関係を分析しました。さらに、管理職や専門・技術職を「知識労働者」、それ以外を「その他の労働者」として比較しました。

興味深い結果が見られたのが「協調性」です。知識労働者では、協調性が高い人ほど脳全体の灰白質量の指標が高い傾向がありました。ところが、その他の労働者では、反対に低い傾向が見られました。

なぜでしょうか。

知識労働では、自分の専門性だけで仕事が完結するとは限りません。他者と知識を共有し、異なる専門性を組み合わせて問題を解決する必要があります。そのような環境では、協調性が仕事を進めるうえで強みになる可能性があります。

一方、協調性の高い人には、対立を避け、自分より相手を優先しやすい面もあります。先行研究では、そのために自分の利益を犠牲にしたり、不利益を受けたりする可能性も指摘されています。

もちろん、今回の研究は一時点の調査なので、仕事と性格の組み合わせが脳を変えたとは断定できません。あくまで両者の「関連」を示した結果です。

それでも、人材管理について一つの示唆があります。「協調性が高い人がよい」「積極的な人がよい」と、性格だけを切り離して評価するのは単純すぎるのかもしれません。

どんな人が優秀かではなく、どんな環境なら、その人の特徴が強みになるのか。

人を見るだけでなく、「人と仕事の組み合わせ」を見ることが大切なのではないでしょうか。

論文情報は以下。末尾のURLから全文をご覧いただけます。

Kokubun, K., Nemoto, K., & Yamakawa, Y. (2026). Occupational Context Moderates the Association Between Agreeableness and Brain Structure. Brain Health, 1, e70009.
https://doi.org/10.1002/brh2.70009

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【総点検・マレーシア経済】第555回:ペトロナスが抱えたPRefChemというリスク

第555回:ペトロナスが抱えたPRefChemというリスク

8月28日、国有石油会社ペトロナスは2026年上半期の業績を発表しました。売上は前年同期から15%増加して1524億リンギ、税引き後利益は4%増加して272億リンギとなりました。売上の増加には、原油価格(ブレント)が前年同期の1バレル=71.9ドルから92.3ドルにまで高騰したことが貢献しました。

ホルムズ海峡危機の中で堅調な業績に見えますが、筆者には、ペトロナスは久々に大きなリスクを抱えてしまったように思われます。以下に説明します。

まず、原油価格が高騰し、売上がの見た割に利益が伸びていません。理由は、ジョホール州の 石化コンビナートRAPID内にあるプングラン製油社(PRC)とプングラン石油化学社(PPC、以下、両社総称PRefChem)への追加出資に伴い、これまで持分法会計で未認識だった累積損失RM148億を一括計上したためです。なお、合弁パートナーであったサウジアラムコからの両者の株式を全額買収する契約が2026年5月に締結されたましたが、6月末時点ではまだ完了していません。

RAPIDは巨大な石油コンビナートで、操業後にコロナ禍で需要が低迷したこと、製油施設が何度も停止し、稼働率が低下したことなどが重なり、損失が累積していました。今回は、増資に伴ってその累損が計上され、明らかになりました。一概には言えませんが、RM148億の損失はペトロナスの持ち分50%分で、サウジアラムコ分を合計すると、創業から6年半でRM250億〜300億RM、毎期平均してRM40〜50億程度の損失を計上していたことになります。

現在、ホルムズ海峡危機によって、アジア地域での石油化学製品の市況は好転しています。実際、ペトロナスの2026年上半期の川下事業は、PRefChemの累損を除けば税引き後利益で70億リンギの黒字と報告されています。

しかし、アジア地域では中国を始めとする各国の石油コンビナートの稼働が相次いでおり、供給は構造的に過剰気味です。PRefChemの累損の巨大さからみても、市況が崩れたり、施設が稼働を停止する事故があると、一気に損失は膨らみます。しかも、今後はペトロナス(およびペトロナス化学)の100%子会社となるので、損失は全て本体に計上されることになります。

ここのところ、ペトロナスの税引き前利益は700億リンギ程度有るので、PRefChemの業績が悪化しても吸収できないわけではありません。しかし、PRefChemが市況低迷時にはペトロナスの利益を押し下げる要因になる可能性は否定できません。

ペトロナスは、今回の買収による完全子会社化によって、バリューチェーン全体をコントロールし、マレーシアのエネルギー安全保障に貢献することを挙げています。実際に、そうした面での貢献は大きいですし、日本でも出光が製油所の閉鎖を撤回するなど、経済安全保障を理由に自国の製油能力を維持・拡大する動きが目立ちます。

ただ、商業面から見れば慢性的に過剰供給の業界で、稼働率が安定しない巨大石油コンビナートを100%子会社として持つことは、明らかにリスク要因となります。まずはPRefChemが安定的に創業できるか、そして、危機時には原油を安定的に調達できるか、平時には市況が崩れないか、常にリスクを見なければいけない厄介な存在を抱え込むことになります。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【イスラム金融の基礎知識】第600回 イスラム銀行強度ランキングを分析

第600回 イスラム銀行強度ランキングを分析

Q: イスラム銀行上位100行にマレーシアは何行ランクインしていますか?

A: ある国のある市場の成熟度を測る際には、市場規模のみならず参入している事業者数も重要な指標となる。例え市場規模が大きくとも、独占や寡占の状態では、市場の健全な発展を阻害する要因となりうる。多くの企業による競争状態から、底堅い発展やイノベーションが生まれると期待できる。この点について、マレーシアのイスラム銀行市場をみてみたい。

シンガポールの金融情報リサーチ会社であるTABインサイツ社は、昨年末に「世界のイスラム銀行の強度トップ100行」を発表した。これは、イスラム銀行の総資産や融資残高、預金残高、売上高、ROAなど14項目について独自の点数化を行い、ランキング形式でまとめたものである。これによると、マレーシアは13位のメイバンク・イスラミックを筆頭に16行がランクインした。ひとつの国で16行がランクインしたのは、マレーシアが最多であり、2位のインドネシアの11行を引き離した。イスラム金融大国で国内に多くのイスラム銀行が存在する国をみてみると、パキスタンとバングラデシュがそれぞれ9行、トルコとUAEがそれぞれ6行、サウジアラビアは4行にとどまった。市場の独占や寡占は、市場の草創期の育成段階では必要な措置とみることもできるが、やはり底堅い健全な発展には企業間の競争が必要だろう。

マレーシアの16行の内訳をみると、いわゆる8大民間金融グループそれぞれのイスラム銀行、専業銀行であるバンク・イスラム、バンク・ムアーマラート、MBSB銀行、外資系のうちサウジ資本のアル・ラジヒ銀行、イギリス資本のHSBCとスタンダード・チャータード銀行、シンガポール資本のOCBC銀行、および政府系の協同組合銀行(バンク・ラクヤット)である。国内資本のイスラム銀行が軒並みランクインする一方、一部の外資系はランク外となった。

福島 康博(ふくしま やすひろ)
立教大学アジア地域研究所特任研究員。1973年東京都生まれ。マレーシア国際イスラーム大学大学院MBA課程イスラーム金融コース留学をへて、桜美林大学大学院国際学研究科後期博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2014年5月より現職。専門は、イスラーム金融論、マレーシア地域研究。

【総点検・マレーシア経済】第554回:アンワル首相は「台湾武力統一」を容認したのか

第554回:アンワル首相は「台湾武力統一」を容認したのか

8月16日、カタールの放送局アルジャジーラがアンワル首相のロングインタビューを放送しました。タイトルは「偽善的な世界秩序における独立外交 (Independent Diplomacy in a Hypocritical World Order)」。この中で、アンワル首相が中国の武力による台湾統一を容認するかのような発言をしたことがニュースになっています。

タイトルの通り、インタビューのテーマは、マレーシアが米中対立の中でどのように中立的な外交姿勢を保っているか、という点です。この中で、インタビュアーが次のように問いかけました。「世界の多くの国は台湾を中国の一部と認めていますが、台湾の人々は北京による統治を望んでいません。これをどう考えますか」と。

アンワル首相は、そこには歴史的な経緯がある、と答えます。しかし、結論として「台湾は中国の一部と考えています。以上。(I see Taiwan as part of China, period.)」と述べています。

インタビュアーが食い下がります。「中国は、平和的な再統一がうまくいかない場合には武力行使の権利を留保するとしています。それを非難しますか」と。

アンワル首相は答えます。「マレーシアを例に答えましょう。1つの州が離脱を決めたと。我々は軍事力(force)を使うか?私は国の尊厳と統一を守ると思いますよ」

インタビュアーが確認します。

「つまり、あなたは軍事力を使うと?」

「はい。そうしなければ、国は分裂する……あなたは私に何を言わせたいのですか?」

これは日本人が一般的に考えるような「インタビュー」ではありません。かなり強い主張をインタビュアーがぶつけ、回答に反論し、矛盾を突き、相手を追い込むような世界標準のスタイルです。

その後、この件について、アンワル首相は8月20日に記者団に対し、「一つの中国政策は(国交を回復した)ラザク時代からだ。この政策は維持されており、われわれはそれを実践している。そして当然、平和的な道を探すべきだと考えている」と述べました。

マレーシア政府の台湾に対する立場は、政権によって揺れてきました。

2016年にナジブ首相が訪中した際の共同声明では一つの中国という政策を維持し「両岸関係の平和的発展と中国の平和的統一を支持する」と述べました。

2018年のマハティール首相の訪中では、一つの中国という政策を維持するとだけ述べ、統一については語りませんでした。

2024年のアンワル政権下での李強首相の訪馬では一つの中国という政策の維持に加えて「マレーシアは、中国が国家統一を実現するためには、台湾が中華人民共和国の不可侵の一部であることを認識しており、台湾の独立を求めるいかなる主張も支持しない」と踏み込みました。2025年の習近平国家主席訪馬の際の声明でも、ほぼ2024年の立場を繰り返しました。

つまり、「一つの中国」というマレーシアの立場自体は一貫しています。ただし、その先の表現は政権ごとに異なり、ナジブ期には「平和的統一の支持」が語られ、マハティール期には統一への言及が消え、アンワル期には「平和的」の語が落ちています。

今回のアンワル首相の発言は、2024年および2025年の共同声明と整合的です。中国の台湾武力統一に直接的に言及したのではなく、もしマレーシアならば、と語ったものです。それでも言い過ぎたと思ったのか、直後に「何を言わせたいのですか?」と言葉を濁しています。

では、なぜアンワル政権は2024年に中国に対して一歩譲歩したのでしょうか。2024年は台湾で頼清徳総統が就任、2025年にマレーシアと中国の国交樹立50周年を控えていました。。

アンワル首相は、台湾問題での立場変更を比較的コストの低いカードとみていた可能性があります。こうした大国への譲歩は、小国マレーシアのバランス外交において不可避な代償です。実際、2025年の米馬相互貿易協定(ART)でも、経済安全保障面で大幅な妥協を行っています。

以上のように、今回のアンワル発言は従来の立場から逸脱したものではなく、譲歩自体は2024年の時点で行われていました。中立外交は「孤高」に映りがちですが、実際には全方位に適切に「媚びる」技術こそが求められるのです。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

【イスラム金融の基礎知識】第599回 バンク・イスラムの会長が交代

第599回 バンク・イスラムの会長が交代

Q: バンク・イスラムの新会長に就任した人物は?

A: マレーシアのバンク・イスラムが証券取引所に提出した書類によると、6年間会長を務めた元財務省・運輸省事務次官のイスマイル・バカール氏が8月22日に退任し、新たにワン・モハマド・ファズミ氏が27日付で独立非執行会長(independent non-executive chairman)に着任した。

ファズミ氏は60歳のマレーシア人で、オーストラリアのRMIT大学で経済学の学士号を取得、その後は米ペンシルベニア大学やオックスフォード大学では経営学を学んだ。その後、30年以上にわたりマレーシアの金融業界に携わってきた。主要な経歴としては、民間ではメイ・バンクやRHB銀行の上級管理職、チューリッヒ・タカフル・マレーシアやチューリッヒ・ゼネラル・タカフル・マレーシアなどの取締役、日系銀行のマレーシア現地法人の会長などを歴任した。政府系金融機関ではアグロバンクの社長兼CEO、マレーシア開発銀行の独立非執行取締役、さらにラブアン金融サービス庁の会長の経験もある。

長年のキャリアの中でもイスラム金融への関わりが深く、イスラム金融専門家公認協会のイスラム金融公認専門家の資格を有する。また、アグロバンク在籍中の2016年には、グローバル・イスラム金融アワードの最優秀CEO賞を受賞した。このときは、アグロバンクも農業分野におけるイスラム式のマイクロファイナンスを推進した功績で最優秀イスラム金融事例賞を授与されている。

独立非執行会長とは日本ではあまり聞きなじみのない役職だが、取締役会の議長であるが会社や株主から独立しており、会社の日常的な業務を行わない非常勤的な立場である。バンク・イスラムのウェブサイトでは、すでに同氏について経営陣の紹介ページにて最初に取り上げている。同職が最高職であることを示すものである。

 

福島 康博(ふくしま やすひろ)
立教大学アジア地域研究所特任研究員。1973年東京都生まれ。マレーシア国際イスラーム大学大学院MBA課程イスラーム金融コース留学をへて、桜美林大学大学院国際学研究科後期博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2014年5月より現職。専門は、イスラーム金融論、マレーシア地域研究。

【従業員の勤労意欲を高めるために】第928回:危機になると、従業員が会社を見る目は変わる

第928回:危機になると、従業員が会社を見る目は変わる

前回は、農業を題材に、短期的な効率化が長期的には弱さにつながる可能性について紹介しました。今回は企業に戻り、経済危機が従業員の意識をどう変えるのかについて考えてみます。

従業員が「この会社で働き続けたい」と思う理由は一つではありません。上司の支援、同僚との関係、仕事の裁量、報酬の公平性など、さまざまな要因があります。しかし、こうした要因の重要性は、いつでも同じなのでしょうか。

この疑問を調べるため、拙稿では中国にある日系企業4社で2007年から2011年に実施した従業員意識調査を分析しました。この期間には2008年の世界金融危機、いわゆるリーマン・ショックが含まれています。分析対象は1万1507件でした。

興味深い変化が見られたのが、世界市場向けの電子部品を生産していた製造会社です。この会社では、金融危機後、「報酬が公平である」と感じることと組織コミットメントとの関係が大きく強まりました。一方、他の3社では同じ変化は見られませんでした。

さらに、この製造会社の生産部門を詳しく調べると、一般従業員では、報酬の公平性と組織コミットメントとの関係が危機前の0.415から危機後には0.599へと約44%強まりました。ところが監督者では、0.526から0.557へとほとんど変化しませんでした。

なぜでしょうか。会社の先行きが不透明になると、一般従業員は「会社は自分をきちんと扱ってくれるのか」を判断する材料として、給与、評価、昇進などの公平性を、それまで以上に重視するのかもしれません。監督者は会社内部の情報や裁量を比較的多く持つため、その影響を受けにくかったと考えられます。

重要なのは、危機になると何もかも重要になるわけではないことです。上司の支援、同僚との関係、裁量なども含めて分析すると、危機後に重要性が明確に増したのは報酬の公平性だけでした。

これは「危機になったら給料を上げればよい」という話ではありません。むしろ、給与や評価がどのように決まり、なぜその結果になったのかを従業員が納得できることが重要です。

従業員の勤労意欲を高める方法には、いつでも通用する正解があるわけではありません。環境が変われば、従業員が会社を見る物差しも変わる。不確実な時代の人事には、この視点がますます重要になるのではないでしょうか。

論文情報は以下。末尾のURLから概要をご覧いただけます。

Kokubun, K. (2026). When fair rewards matter more: Economic crisis, employee position, and organizational commitment in Japanese subsidiaries in China. Human Resource Management Journal, Early View. https://doi.org/10.1111/1748-8583.70061

 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【総点検・マレーシア経済】第553回:マレーシアの輸出、どこまでAIバブル?

第553回:マレーシアの輸出、どこまでAIバブル?

7月20日、マレーシアの6月の輸出額が前年同月比で45.4%増と発表されました。国別では、米国が首位で前年同月比108.6%増、2位がシンガポールで47.6%増、3位が中国で36.1%増となりました。図1は上位3カ国の輸出額の変化を3カ月移動平均でみたものです。ここ数カ月で、米国向けの輸出がさらに一段増加していることが分かります。

表1は2026年上半期の米国向けの輸出をHSコード6桁レベルで示したものです。総額では54.8%増と大幅に増加しています。輸出額の首位は「集積回路の部分品」で前年同期比で約5倍になっています。これは実際には何なのかと考えると、ヒントは米国側の統計にあります。米国側で、この金額と見合うのは「PC等用プリント基板(8473.3011)」です。これは、連載521回でも登場していますが、その時は、マレーシア側で見合うのが「パソコン用処理装置(8471.50)」だったので、ノートPC用のプリント基板と推測しました。

今回は、マレーシア側の分類ではが「集積回路の部分品」なので、ノートPCの基板よりもさらにモジュール寄りであり、この金額の急増ぶりから考えると、「AI半導体関連のモジュール」であると推測されます。

輸出額の2位「プロセッサ・コントローラ」はインテルのCPUに代表されるプロセッサ半導体の完成品で、前年同期比約6割増となっています。3位の「半導体メモリー装置」はSSD、4位の「ICメモリー」はSSDになる前のNANDフラッシュメモリと考えられ、前者が3.4倍増、後者が4.5倍増となっています。

1位のPC等用プリント基板の数量を米国側の統計で見ると、前年同期比25%増にとどまっており、3位の半導体メモリー装置については30%減少しています。ということは、米国への輸出の大幅な伸張は、AIブームによる輸出単価の高騰によるところが大きいと結論できます。

ということは、今回のAIブームが終焉を迎えた際には、特に米国向け輸出額が一気に3割、5割というオーダーで減少する、ということが考えられます。現状は、あくまでも「AIブームによる特異な状況」と考えた方が良いでしょう。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp