【従業員の勤労意欲を高めるために】第879回:高齢化社会との向き合い方(6)高齢者が差別されない未来

第879回:高齢化社会との向き合い方(6)高齢者が差別されない未来

前回は、日本は高齢化の速度も高齢者の割合も世界最高水準であり、そのためエイジズムは強くも弱くもなり難いというお話でした。

前回の話を踏まえれば、日本のエイジズムの将来を予測することも不可能ではありません。まず、内閣府(2024)によれば、高齢化率(65歳以上の全人口に占める比率)は今後も上昇し、2020年の28.6%から2070年の38.7%へと上昇すると予想されています。一方、高齢化速度(直近10年間の高齢化率の変化)は、実は既に2010年代でピークアウトしていて、今後は大きく低下することが予想されています。そのため、図に示すように、エイジズムは、今後、高齢化速度の低下に引きずられるようにして年を経るごとに弱まるはずです。ただし、団塊ジュニア世代が高齢者入りをする2040年代に高齢化速度が一時的に高まるので、お荷物感がぶり返し、昨今、一部の識者によって発せられ物議を醸したように、高齢者への攻撃的論調が一部で復活する可能性があります。

※高齢化率と高齢化速度の単位は%で、内閣府(2024)のデータから算出。エイジズムの2010年の値はInglehartら(2014)に収録の「Older people are a burden on society(お年寄りは社会のお荷物である)」の回答を1~4点に換算して算出。他の年のエイジズムは、United Nations(2024)および World Bank(2024)に収録の59ヵ国分の高齢化率および高齢化速度データを用いてエイジズムを予測する回帰式を導出することで推計。エイジズムの推計には、回答者の当事者意識を極力排除するために60歳未満の回答データを用いた。

内閣府(2024)令和5年版高齢社会白書(全体版)、内閣府。
https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2023/zenbun/05pdf_index.html

Inglehart, R., Haerpfer, C., Moreno, A., Welzel, C., Kizilova, K., Diez-Medrano, J., Lagos, M., Norris, P., Ponarin, E., & Puranen, B. et al. (eds.). (2014). World Values Survey: Round Six – Country-Pooled Datafile Version, Madrid: JD Systems Institute.
https://www.worldvaluessurvey.org/WVSDocumentationWV6.jsp

United Nations (2024). World Population Prospects 2022, United Nations.
https://population.un.org/wpp/

World Bank (2024). World Development Indicators, World Bank.
https://datatopics.worldbank.org/world-development-indicators/

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第878回:高齢化社会との向き合い方(5)高齢化した社会では高齢者が差別され難い?

第878回:高齢化社会との向き合い方(5)高齢化した社会では高齢者が差別され難い?

前回は、年齢の近い者同士の集まりが、異なる年齢層に対するステレオタイプの温床になり易いというお話でした。今回は、高齢化とエイジズム(年齢を理由とした差別)の関係についてです。

これまでに人口統計学的な手法で行われた研究が明らかにしたことは大別して2つあります。一つは、高齢化の「速度」が速いほどエイジズムが強まるというもので、もう一つは、高齢者の「割合」が高まるほどエイジズムが弱まるというものです(Hövermann and Messner, 2023)。これら一見すると相矛盾する結果は、負担感が急激に高まると高齢者への不満が大きくなるが、皆が高齢者ばかりの社会では怒りの矛先の向かうあてがなく、かえって不満が高まり難いことを意味します。日本は高齢化の速度も高齢者の割合も世界最高水準なので、両者が綱引きをすることでエイジズムは強くも弱くもなり難いのです。そのため、世界価値観調査(Inglehart et al., 2014)に収録された「Older people are a burden on society(お年寄りは社会のお荷物である。強く反対~強く賛成の4択から回答)」で測られる日本のエイジズムの大きさは、図に示すとおり55ヵ国中31位で、ちょうど真ん中あたりです。※調査の行われた2010~2014年当時の数字を元に筆者算出・作成。高齢化率(65歳以上の全人口に占める比率)および高齢化速度(直近10年間の高齢化率の変化)の算出には、国連および世銀のデータベースを用いた。

Hövermann, A., & Messner, S. F. (2023). Explaining when older persons are perceived as a burden: A cross-national analysis of ageism. International Journal of Comparative Sociology, 64(1), 3-21. https://doi.org/10.1177/00207152221102841

Inglehart, R., Haerpfer, C., Moreno, A., Welzel, C., Kizilova, K., Diez-Medrano, J., Lagos, M., Norris, P., Ponarin, E., & Puranen, B. et al. (eds.). (2014). World Values Survey: Round Six – Country-Pooled Datafile Version, Madrid: JD Systems Institute. https://www.worldvaluessurvey.org/WVSDocumentationWV6.jsp

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第877回:高齢化社会との向き合い方(4)友達とつるむと差別が強まるかも知れない?

第877回:高齢化社会との向き合い方(4)友達とつるむと差別が強まるかも知れない?

前回は、人生を楽しむ充足的な社会が、高齢者にとって生き易い社会というお話でした。これに関連して、今回は、家族や友人などの人間関係とエイジズムの関係についてです。

まず、家族との関係は、年齢を超えたつながりの場を提供するという点で、知人や友人などの他のネットワークとは質的に異なっています。過去の実証研究は、家族との関係が他の年齢層についての知識獲得や好意的な評価を促すことで(Newman et al., 1997)、年齢による差別の抑止に役立つことを主張しています(McPherson et al., 2001)。一方、別の研究は、知人や友人などの家族外の人間関係における年齢の均質性の高さが、年齢を超えた交流を妨げ、世代の異なる他者への理解を妨げることを示しています(Hagestad & Uhlenberg, 2005)。関連して、最近の研究は、高齢者に対するポジティブな評価が、家族やパートナーシップ、宗教やスピリチュアリティ、仕事などの文脈で生じる一方、高齢者に対するネガティブな評価が、友人や知人との関りや、余暇活動、社会的活動などの文脈で生じることを示しています(Swift et al., 2017)。

つまり、年齢の近い者同士の集まりは、異なる年齢層に対するステレオタイプの温床になり易いのです。こうした集団の年齢構成の違いが高齢者に対する理解と差別に与える影響は、人的なネットワークの構築が社会のあらゆる問題の解決に寄与することを想定する「ソーシャル・キャピタル」に関する研究が見落としていたことです(Hagestad & Uhlenberg, 2005)。しかし、文化的或いは人種的に近い者同士の団結がよそ者に対する排斥を促すことを指摘した研究や(Portes, 2009)、個人主義よりも集団主義の文化でエイジズムが強いことを示した研究に照らせば(North & Fiske, 2015)、年齢の均質性とエイジズムの関係もまた解釈の難しいものでは無いでしょう。裏を返せば、人々が交わる場を設ければ高齢者差別が無くなるという風に安易に構えるのではなく、もっと慎重に、年齢構成の違いなどを考慮して、人々の交わり方を考える必要があるといえます。

Hagestad, G. O., & Uhlenberg, P. (2005). The social separation of old and young: A root of ageism. Journal of Social Issues, 61(2), 343-360. https://doi.org/10.1111/j.1540-4560.2005.00409.x

McPherson, M., Smith-Lovin, L., & Cook, J. M. (2001). Birds of a feather: Homophily in social networks. Annual Review of Sociology, 27(1), 415-444. https://doi.org/10.1146/annurev.soc.27.1.415

Newman, S., Faux, R., & Larimer, B. (1997). Children’s views on aging: Their attitudes and values. The Gerontologist, 37(3), 412-417. https://doi.org/10.1093/geront/37.3.412

North, M. S., & Fiske, S. T. (2015). Modern attitudes toward older adults in the aging world: a cross-cultural meta-analysis. Psychological Bulletin, 141(5), 993. https://psycnet.apa.org/doi/10.1037/a0039469

Portes, A. (2009). Social capital: Its origins and applications in modern sociology. Knowledge and Social Capital, 43-67, Routledge.

Swift, H. J., Abrams, D., Lamont, R. A., & Drury, L. (2017). The risks of ageism model: How ageism and negative attitudes toward age can be a barrier to active aging. Social Issues and Policy Review, 11(1), 195-231. https://doi.org/10.1111/sipr.12031

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第876回:高齢化社会との向き合い方(3)日本の高齢者の元気が無い理由

第876回:高齢化社会との向き合い方(3)日本の高齢者の元気が無い理由

前回は、国民文化としての「男性らしさ」が高齢者差別に関係するというお話でした。

ホフステードの文化軸には「男性らしさ」を加えて全部で6つあり、そのうちの1つに「人生の楽しみ方」があります。この尺度によれば、世界は、充足的な社会と抑制的な社会に分けられます。充足的な社会は、人生を味わい、楽しむことに関わる人間の欲求を自由に満たそうとする社会です。一方、抑制的な社会は、厳しい社会規範によって欲求の充足を抑え、制限すべきだという考え方を持つ社会です。マレーシアは、97ヵ国の中で30番目に充足的な社会(68番目に抑制的な社会)であり、比較的、充足的な社会です。一方、日本は、53番目に充足的な社会(45番目に抑制的な社会)であり、比較的、抑制的な社会であるといえます(Hofstede et al., 2010)。先行研究は、充足的な社会ほど死亡率が低く(Hofstede et al., 2010)、平均寿命が長い傾向にあることを示しています(Gamlath, 2017)。この原因については、充足的な社会では、通常、主観的な幸福感が高く、また幸福であることを肯定的に捉えるため、心血管疾患などのストレス関連疾患による死亡が抑制されるためであると考えられています(ただし、充足的な社会には、ファーストフードやソフトドリンクをより多く消費する傾向があるため、肥満になる可能性が高いという負の側面があります)。

つまり、人生を楽しむ充足的な社会は、高齢者にとって生き易い社会といえます。高齢者がイキイキとした社会であれば、年齢を理由とした差別や偏見も起こり難いと考えられます。日本は健康的な食生活や高い医療技術のお陰で長寿を維持していますが、抑制的な文化がマイナスに働くことで、高齢者は、生き長らえながらも、イキイキとしていないのかも知れません。耐え忍ぶことを良しとする社会から、人生を楽しむことを良しとする社会に変わることで、高齢者が元気になり、差別を受け難くなると考えられます。

 

Gamlath, S. (2017). Human development and national culture: A multivariate exploration. Social Indicators Research, 133, 907-930. https://doi.org/10.1007/s11205-016-1396-0

Hofstede, G., Hofstede, G. J., and Minkov, M. (2010). Cultures and Organizations: Software of the Mind. Revised and expanded 3rd edition, New York: McGraw-Hill.

 

 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第875回:高齢化社会との向き合い方(2)男性らしさを求める社会でエイジズムが見られる理由

第875回:高齢化社会との向き合い方(2)男性らしさを求める社会でエイジズムが見られる理由

前回は、ハングリー精神を強く持つ人ほど、高齢者を社会のお荷物と感じる度合いが大きいというお話でした。これは、お金や成功に執着する人ほど、高齢者を支えるための社会的負担の増加による分け前の低下に敏感なためです。今回も、これに関連した「男性らしさ」のお話です。

Ng & Lim-Soh(2021)は、英語圏にある20か国を対象にした研究により、80億語のデータベースを使用して評価された国ごとのエイジズム(年齢を理由とした差別)が、Hofstede(1980)の文化尺度であり、業績や成功、地位への執着の強さを表す「男性らしさ」と相関することを示しています。男性らしさがエイジズムに関係するのは、競争を重んじ、強者や成功者を高く評価する社会が、その対極にある年長者を弱者と決めつけ易いためです(Ng & Lim-Soh, 2021)。先行研究では、例えば、男性の筋肉労働が経済を支えるイングランドの重工業地帯の社交クラブで、高齢男性が働き盛りの若年男性から疎外される様子が描写されています(Pain et al., 2000)。

ちなみに、日本は78ヵ国の中で男性らしさが2番目に高い国です。そのため、エイジズムが高まり易い文化を持つ国といえます。一方、マレーシアは36番目で、日本に比べると、競争よりも生活の質を重視する「女性らしさ」の強い国です(Hofstede et al., 2010)。従って、マレーシアは、成功への執着心が低い分、高齢者には優しい社会と考えられます。現役を退いた後の少なくない日本人がマレーシアを移住先に選ぶのも、こうした文化に起因する居心地の良さが理由かも知れません。

Hofstede, G., Hofstede, G. J., and Minkov, M. (2010). Cultures and Organizations: Software of the Mind. Revised and expanded 3rd edition, New York: McGraw-Hill.

Ng, R., & Lim-Soh, J. W. (2021). Ageism linked to culture, not demographics: Evidence from an 8-billion-word corpus across 20 countries. The Journals of Gerontology: Series B, 76(9), 1791-1798. https://doi.org/10.1093/geronb/gbaa181

Pain, R., Mowl, G., & Talbot, C. (2000). Difference and the negotiation of ‘old age’. Environment and Planning D: Society and Space, 18(3), 377-393. https://doi.org/10.1068/d31j

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京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、国際経済労働研究所理事、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第874回:高齢化社会との向き合い方(1)高齢者をお荷物に感じる意識

第874回:高齢化社会との向き合い方(1)高齢者をお荷物に感じる意識

前回は、留学の長さは仕事のパフォーマンスに影響を与えないというお話でした。留学は時間よりも中身が大切といえます。つまり、日本は様々な国の人たちとの付き合い方を学ぶ必要があります。同時に、少子高齢化の中で、日本人同士の付き合い方にも変化が生まれています。そこで、今回から、高齢者との付き合い方について書きます。

Hövermann & Messner(2023)は、World Values Surveyに収録された、日本を含む59カ国 70,456人分のデータを用いた分析により、お金持ちになることや社会的に成功することを重視する「市場化されたメンタリティ」、分かり易い言葉に直せば「ハングリー精神」を強く持つ人ほど、高齢者を社会のお荷物と感じる度合いが大きいことを示しています。これは、お金や成功に執着する人ほど、高齢者を支えるための社会的負担の増加による分け前の低下に敏感なためです。また、高齢化の速度が速い国ほど、高齢者をお荷物と感じる度合いが高いことも示されています。そのため、儒教の影響により高齢者を敬う文化を持つことで知られる東アジア諸国で、欧米諸国よりも高齢者に対する否定的な見方が強いという逆説的な結果になっています。

彼らは別の論文で、このハングリー精神が移民に対する排斥意識とも相関することを示しています(Hövermann & Messner, 2019)。従って、日本人がしばしば新興国の人々を見下すような態度を取ってしまうのは、自分たちの分け前が少なくなってしまうかも知れないという脅威の表れかも知れませんし、一部の人たちに見られるような高齢者を馬鹿にするような意識とも根っこでつながっているのかも知れません。

Hövermann, A., & Messner, S. F. (2019). Marketization and anti-immigrant attitudes in cross-national perspective. Social Science Research, 84, 102326. https://doi.org/10.1016/j.ssresearch.2019.06.017

Hövermann, A., & Messner, S. F. (2023). Explaining when older persons are perceived as a burden: A cross-national analysis of ageism. International Journal of Comparative Sociology, 64(1), 3-21. https://doi.org/10.1177/00207152221102841

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、国際経済労働研究所理事、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第873回:ライフスタイルとモチベーション(13)留学は無意味?

第873回:ライフスタイルとモチベーション(13)留学は無意味?

前回は、読書が、他者への共感や認知能力を高めるというお話でした。引き続き、最近駐在員の方々に対して行ったアンケート調査の結果を考察しましょう。今回は、過去の海外経験が駐在員のパフォーマンスに与える影響についてです。

調査の結果、海外経験については、仕事か、学びかで対照的な結果になりました。すなわち、過去に仕事で海外に住んだ期間の長さがパフォーマンスの一部と相関するのに対して、留学期間の長さにはそのような傾向がありませんでした。これは、一般的に、留学という行為が様々な形態を含んでいるためかも知れません。以前のシステマティックレビューは、現在駐在している国と文化的に近い国での海外経験は容易に異文化適応に活用できるが、文化的に遠い国での海外経験の活用は難しいことを主張しています(Takeuchi et al., 2012)。或いは、たとえ駐在国と文化的に近い国への留学経験であっても、外国人と触れあう機会が多くあったか、それとも、日本人ばかりと過ごしていたかでは、培われるスキルが大きく異なることを指摘する議論もあります(Takeuchi & Chen, 2013)。

そもそも、現地の人たちに面倒を見てもらうことを前提とした留学と、現地の人たちを管理して成果を生まなくてはいけない駐在とでは、発生し得る責任や軋轢の大きさが異なるので、しばしば前者の経験が活用できないのは当然といえます。一方、駐在員としての仕事の経験であれば、国や文化が異なっても、技術的な問題を解決したり、現地の人材や後任の駐在員を指導したり、本社と連絡を取ったりするなどの共通するタスクが多いことで、こうした経験をある種のパフォーマンスに対して活用し易かったと考えられます。

今回のアンケート調査の結果は、駐在員がパフォーマンスを発揮するうえで留学に意味が無いことを示しているわけではありません。むしろ、留学の内容にまで目を向けずに、「この人は留学経験があるから駐在員の仕事も務まるだろう」と安直に考える姿勢が間違っていることを示しています。一方、今回の調査結果は、駐在員としての仕事の経験がある人に駐在員を任せるのであれば、ある種のパフォーマンスを発揮してくれると期待してもおおよそ間違いが無いことを示しています(本社の人間はそのことを経験的に理解しているので、駐在国を横滑りしながらなかなか日本に帰してもらえない駐在員が少なくないのでしょう)。

Takeuchi, R., & Chen, J. (2013). The impact of international experiences for expatriates’ cross-cultural adjustment: A theoretical review and a critique. Organizational Psychology Review, 3(3), 248-290. https://doi.org/10.1177/2041386613492167 

Takeuchi, R., Tesluk, P. E., Yun, S., & Lepak, D. P. (2005). An integrative view of international experience. Academy of management Journal, 48(1), 85-100. https://doi.org/10.5465/amj.2005.15993143 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第872回:ライフスタイルとモチベーション(12)読書が異文化理解を高める?

第872回:ライフスタイルとモチベーション(12)読書が異文化理解を高める?

前回は、最近駐在員の方々に対して行ったアンケート調査の結果から、睡眠と食事が、文化的知性や心の知性を高めるうえで効果があることを紹介しました。今回も、このアンケート調査の結果の一部を紹介します。

8か国184人の日本人駐在員が参加したアンケート調査から得られたデータを分析したところ、睡眠や食事と同様に、趣味や学習を行う習慣が、文化的知性と相関することが示されました。この趣味・学習については、その実践により、幸福感の向上や健康の維持などの多面的な効果が期待できることが最近のシステマティックレビューで確認されています(Fancourt et al., 2021)。中には、読書が、他者への共感や認知能力を高めることを示す研究もあります。Kidd & Castano(2013)が行った、18歳から75歳までが参加した5つの介入研究では、小説などのフィクションを読むと、ノンフィクションや、大衆小説、或いは、まったく読まない群と比較して、感情的・認知的テストの成績が向上することが示されました。テストには、例えば、参加者に人の目の白黒写真を見せて、その人の感情を読み取るように求めるものがあります。この研究の結果は、非現実的な要素を含む文学や芸術に触れることで、他人の感情や信念を理解する能力が向上する可能性を示唆しています。

慣習によってステレオタイプ化された我々の社会的経験とは異なり、フィクションの多くは私たちの期待を混乱させます。そのため、読者は、登場人物の感情や考えを推測するために、より柔軟な解釈を行う必要があります。こうした負荷が、感情的・認知的効果の原因の一部にあると論文の著者らは考察しています。従って、こうした趣味を持つ駐在員が、現地の人々の顔の表情などから感情を読み取ることに長けていて、そのことで、異文化に対する学習意欲や知識が高まり易い状態にあったとしても不思議ではありません。皆さんも、何か趣味を持つようにすることで、従業員の気持ちが理解し易くなり、現地での経営もより行い易くなるかも知れません。


Fancourt, D., Aughterson, H., Finn, S., Walker, E., & Steptoe, A. (2021). How leisure activities affect health: a narrative review and multi-level theoretical framework of mechanisms of action. The Lancet Psychiatry, 8(4), 329-339. https://doi.org/10.1016/S2215-0366(20)30384-9
Kidd, D. C., & Castano, E. (2013). Reading literary fiction improves theory of mind. Science, 342(6156), 377-380.https://www.science.org/doi/10.1126/science.1239918 

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【従業員の勤労意欲を高めるために】第871回:ライフスタイルとモチベーション(11)駐在員にとって大事な睡眠と食事

871回:ライフスタイルとモチベーション(11)駐在員にとって大事な睡眠と食事

前回は、良いライフスタイルを維持することで、健康が維持されるというお話でした。今回は、1月にマレーシアBIZナビ・ウィークリーの読者の皆さんに協力いただいたアンケート調査の結果の一部をご紹介します。

今回の研究では、ライフスタイルに関する7つの変数を盛り込みました。このうち、睡眠と食事が、文化的知性や心の知性を高めるうえで特に効果的であることが示されました。睡眠の質は、報酬の期待値と関連しています。そのため、睡眠不足の人は、そうしないことで得られる報酬を正しく評価できないことで、簡単に仕事を休んだり、予定や会議をキャンセルしたり、社会活動をサボったりしてしまいます(Palmer & Alfano, 2017)。こうした経験を繰り返す駐在員であれば、感情を利用したり、ストレスに耐えるような能力の不足を自覚したりしていても不思議ではありません。

また、食事のバランスは、認知やエピソード記憶と関連しています(Guasch‐Ferre & Willett, 2021)。エピソード記憶とは、時間や場所、そのときの感情を含むイベントの記憶のことです。そのため、食生活の不健康な人が、異文化体験やその時の感情の具体的な記憶が曖昧になり易く、そのことで、異文化についての知識や興味が下がり、また交流の際に適切な行動を取ることを苦手と感じていても不思議ではありません。

一方、運動は、今回の研究では文化的知性や心の知性との相関が見られませんでした。運動は、自制心や向社会的行動、対人コミュニケーションなどにポジティブな効果があること、また、個人で行うよりもチームで行うほうが効果が大きいことなどが、システマティックレビューで確かめられています(Teixeira et al., 2012)。しかし、しばしば差別を受けた少数民族が民族的な誇りを取り戻すためにスポーツチームに参加するように(Thorpe et al., 2014)、現地に馴染めない駐在員が日本人駐在員主催のスポーツコミュニティに参加し、そのことで、チーム内の団結心の向上と引き換えに、現地の文化への興味や、文化を相対的に見るためのメタ認知の発達を遅らせている可能性も考えられます。こうしたメリットとデメリットが打ち消し合うことで、サンプル全体としては文化的知性や心の知性との相関が確認できなかったのかも知れません。

現地との交流の妨げにならない限り、健康なライフスタイルは脳の働きを高め、現地経営に良い影響を与えます。皆さんも心がけてみてはいかがでしょうか。

Guasch‐Ferre, M., & Willett, W. C. (2021). The Mediterranean diet and health: A comprehensive overview. Journal of internal medicine, 290(3), 549-566. https://doi.org/10.1111/joim.13333
Palmer, C. A., & Alfano, C. A. (2017). Sleep and emotion regulation: An organizing, integrative review. Sleep medicine reviews, 31, 6-16. https://doi.org/10.1016/j.smrv.2015.12.006
Teixeira, P. J., Carraca, E. V., Markland, D., Silva, M. N., & Ryan, R. M. (2012). Exercise, physical activity, and self-determination theory: a systematic review. International journal of behavioral nutrition and physical activity, 9, 1-30. https://doi.org/10.1186/s13643-023-02264-8
Thorpe, A., Anders, W., & Rowley, K. (2014). The community network: an Aboriginal community football club bringing people together. Australian journal of primary health, 20(4), 356-364. https://doi.org/10.1071/PY14051

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【従業員の勤労意欲を高めるために 】第870回:ライフスタイルとモチベーション(10)良いライフスタイルが良い健康、良い経営の基本

870回:ライフスタイルとモチベーション(10)良いライフスタイルが良い健康、良い経営の基本 

前回(注:Web上には未掲載、メールマガジンにのみ掲載)は、趣味を持つことで、気分がリフレッシュされ、また頭の働きが良くなるというお話でした。今回は、運動や食事とメンタルヘルスの関係についてです。

スペインの小学生567人を対象にした調査では、週に3時間以上の身体活動を行う参加者は、この基準を満たさない参加者よりも心の知性(自分や相手の気持ちを理解したり評価・制御したりする能力)のスコアが高いことが示されました(Melguizo-Ibanez et al., 2022)。また、システマティックレビューは、大学生の健康的な食事が、うつ病、不安、ストレスなどのメンタルヘルスの問題を軽減することを示しました(Solomou et al., 2023)。このように、健康的なライフスタイルは、心を良い状態に保つうえで大事といえます。

しばしば、駐在員の現地への適応が主要なテーマになります。しかし、現地のライフスタイルに適応していることと、健康的なライフスタイルを実践していることとでは、意味が全く異なります。例えば、先行研究では、糖尿病は、日本人や米国人よりも日系アメリカ人ではるかに多いことが示されています(Fujimoto, 2016)。このことは、現地のライフスタイルに適応することで、かえって健康を害する可能性があることを意味します。

駐在員のパフォーマンスを最大化させるには、ライフスタイルに着目する必要があります。良いライフスタイルを維持することで、良い経営の実践に活かしていきましょう。


Fujimoto, W. Y. (2016). 2015 Yutaka Seino distinguished leadership award lecture: the Japanese American community diabetes study and the ‘canary in the coal mine’. Journal of Diabetes Investigation, 7(5), 664-673. https://doi.org/10.1111/jdi.12539
Melguizo-Ibanez, E., Gonzalez-Valero, G., Badicu, G., Filipa-Silva, A., Clemente, F. M., Sarmento, H., … & Ubago-Jimenez, J. L. (2022). Mediterranean diet adherence, body mass index and emotional intelligence in primary education students?an explanatory model as a function of weekly physical activity. Children, 9(6), 872. https://doi.org/10.3390/children9060872
Solomou, S., Logue, J., Reilly, S., & Perez-Algorta, G. (2023). A systematic review of the association of diet quality with the mental health of university students: implications in health education practice. Health Education Research, 38(1), 28-68. https://doi.org/10.1093/her/cyac035

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、国際経済労働研究所理事、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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