【従業員の勤労意欲を高めるために】第900回:中小企業の両利き経営(3)変化の激しい環境では探索が好まれる

第900回:中小企業の両利き経営(3)変化の激しい環境では探索が好まれる

 

前回は、両利きが状況依存的であり、両利きが常に最適な戦略であると主張することはもはや不可能であるというお話でした。大企業と比較すると、中小企業は人的資本や財務資本などの適切な調整メカニズムやリソースを欠いていることが多いといわれています。そのため、両利きのイノベーションが持つ潜在的リスクを考慮し、中小企業はしばしば、深化(或いは漸進的イノベーション)と探索(或いは急進的イノベーション)のどちらかを選択しなければなりません。

深化は、一般的に企業の生産性と効率性を向上させます。しかし、深化の成功は企業が制御できる能力、資産、またはリソースの利用可能性に依存するため、企業が持てる技術力と市場力をすべて使用したとしても、深化の成功には限界があります。一方、探索は、急速に変化するビジネス環境において、企業が長期的な視点で変化に適応するのに役立ちます。これは、新しい市場と技術力を継続的に発見することにつながる探索が、企業が独自の知識ベースの再編成や、新製品の開発、ニッチでの競争優位性の獲得などにおいて非常に効果的であるためです。

探索の深化に対する優位性を示す実証研究には一定の蓄積があります。ドイツのエンジニアリング産業の中規模企業150社を対象とした研究では、生き残りのための競争優位性を獲得するために、新しい知識、製品、サービスを生み出す探索を深化よりも優先する必要があることが示されました。この結果は、激しい競争条件のもとで、活発な研究開発、競争力を維持するためのイノベーションを特徴とするドイツのエンジニアリング産業の状況を反映している可能性があります。関連して、英国の若いBtoBテクノロジー企業180社を対象とした研究では、主要顧客への依存は、製品開発意欲を減退させるなど、企業の存続に大きなマイナスの影響を与えることが示されました。同様に、競争が激しいことで知られるスペインのアグリビジネス中小企業150社を対象とした研究では、探索的イノベーションは深化的イノベーションに比べて市場と財務パフォーマンスにより強い影響を与えることが明らかになりました。

こうした研究は、競争や変化の激しい業界において、深化よりも探索を戦略の中心に据えることの合理性を示すものです。しかし、多くの中小企業はなぜか深化を好みます。次回、その原因を考えてみましょう。

 

Kokubun, K. (2025). Digitalization, Open Innovation, Ambidexterity, and Green Innovation in Small and Medium-Sized Enterprises: A Narrative Review and New Perspectives. Preprints. https://doi.org/10.20944/preprints202504.0009.v1

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【従業員の勤労意欲を高めるために】第899回:中小企業の両利き経営(2)両利きは状況次第

第899回:中小企業の両利き経営(2)両利きは状況次第

両利きについて書いています。前回は、資源と能力が限られている中小企業は、深化か探索のいずれかに特化することで業績が向上する可能性があるという説を紹介しました。大企業と比較すると、中小企業は人的資本や財務資本などの適切な調整メカニズムやリソースを欠いていることが多いといえます。したがって、潜在的リスクを考慮すると、中小企業は漸進的イノベーションと急進的イノベーションのどちらかを選択しなければならないことが少なくありません。深化は、一般的に企業の生産性と効率性を向上させます。しかし、深化の成功は企業が管理できる能力、資産、またはリソースの利用可能性に依存するため、一つの企業が利用可能な技術力と市場力を全て用いても深化の成功には限界があります。一方、探索は、急速に変化するビジネス環境において、企業が長期的な視点で変化に適応するのに役立ちます。これは、新しい市場と技術力を継続的に発見することにつながる探索が、企業が独自の知識ベースの再編成、新製品の開発、およびニッチでの競争優位性の獲得に効果的であるためです。

他の研究者は、探索と深化という相反する要求を統合することで中小企業が両利きを実現できるという証拠を示しています。ドイツの中小企業5社を対象とした調査結果に基づく研究は、深化のための「伝統的な」両利きと、探索のための「俊敏な」両利きが実現可能であることを発見し、状況に応じた両利きを推奨しています。他の研究は、危機の際に、探索は企業のパフォーマンスを向上させるが信頼性を低下させ、深化は企業のパフォーマンスを低下させるが信頼性を高めることを示し、状況に応じて両利きを使い分ける必要があることを主張しました。

こうした両利きが状況依存的であるという主張は、皮肉にも、あらゆる企業に通用する万能な方法が存在しないという事実を証明しています。少なくとも、先行研究において両利きとパフォーマンスの関係に一貫性がないという事実は、両利きを推奨することの説得力を弱めています。現在までに蓄積された研究から、いつでもどのような状況でも両利きが最適な戦略であると主張することはもはや不可能です。

では、中小企業は両利きに取り組むべきでしょうか。もしそうであれば、何が両利きを可能にし、それに取り組むことの利点は何でしょうか。この問題は、まだ十分に議論されていません。次回、もう少し踏み込みます。

 

Kokubun, K. (2025). Digitalization, Open Innovation, Ambidexterity, and Green Innovation in Small and Medium-Sized Enterprises: A Narrative Review and New Perspectives. Preprints. https://doi.org/10.20944/preprints202504.0009.v1

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【従業員の勤労意欲を高めるために】第898回:中小企業の両利き経営(1)両利きは難しい

第898回:中小企業の両利き経営(1)両利きは難しい

 

前回までは、やりがい搾取や努力と報酬の不均衡について取り上げ、議論を行いました。これらは、短期的には組織に利益をもたらす可能性がありますが、長期的には組織と構成員の双方に悪影響を及ぼします。従って、これらの問題を未然に防ぐには、日頃から従業員の働き方に注意を向けるとともに、アンケート調査をうまく活用する必要があります。アンケート調査の効果的な実施方法などについては、筆者までお気軽にご相談いただければ幸いです。

さて、今回からは、中小企業の「両利き」経営について取り上げます。現在、マレーシアには1,617社の日本企業が拠点を持ち、その中には 大企業だけでなく多くの中小企業も含まれています(参考:外務省「海外進出日系企業拠点数調査」)。ビジネスにおいて、両利きとは、短期的な成功と長期的な存続のために、漸進的で効率志向のイノベーション(深化)と、急進的で新規性志向のイノベーション(探索)の両方を組み合わせることを指します。企業がグローバル競争の激化に直面するにつれて、両利きの重要性がますます認識されています。

しかし、探索と深化は希少なリソースをめぐって競合し、それらを同時に達成しようとすると企業内に緊張が生じる可能性があります。そのため、両利きを実現するのは時に困難です。さらに、中小企業は、経営の専門知識、資本、人材、リソースへのアクセスの点で大企業に比べて不利な立場にあり、このことも、両利きを実現することを困難にしています。中小企業は、探索と深化のために別々のユニットを開発することができず、また、変化する環境に適応するためにリソースを再構成するための管理システムがありません。そのため、多くの研究者は、特に資源と能力が限られている中小企業は、深化か探索のいずれかに特化することで業績が向上すると主張してきました。

問題は、果たして答えは「深化か探索のいずれかに特化」でいいのか、ということです。次回から、掘り下げて議論します。

 

以下のウェブセミナーに登壇します。ご興味のある方は是非ご参加ください。2025年4月18日(金)までの事前申し込みが必要です。

 

日時:2025年4月22日(火)14:30~16:00

テーマ:モノづくり中小企業における「両利き経営」の特質と実践―統計分析によるユニークなファインディングス―

申込:

https://www.jspmi.or.jp/system/seminar.php?ctid=1203&smid=341&it=a

 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【従業員の勤労意欲を高めるために】第897回:やりがい搾取(12)アンケート調査を活用して搾取を防ぐ

第897回:やりがい搾取(12)アンケート調査を活用して搾取を防ぐ

前回は、ボランティアを例にとり、内発的動機づけだけで働ける人に頼ることの限界を述べました。奉仕の精神で働いてくれる人の存在は有難いものですが、それを手本にすると、人も組織も疲弊してしまいます。

さて、このシリーズでは、努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)とやりがい搾取、内発的動機づけとの関係をレビューしました。なぜERIが発生するのか、なぜERIが心身の病気や離職などの経済行動につながるのかは、現状ではまだわかっていません。しかし、進化生物学や脳科学の蓄積された研究は、ERI研究の参考にすべきヒントを提供してくれます。

まず、このコーナーで取り上げた、人類が進化の過程で獲得した「間接互恵性」が、裏切り者を排除し、組織やその構成員の生存能力を高めるというメカニズムについては、経営者はそれをうまく活用することで、長期的な発展を犠牲にしてでも、搾取を最大化し、短期的な利益を得ることができることを示唆しています。したがって、間接互恵性の考え方は、長期的に組織とメンバーの両方に損害を与える可能性のある不合理なERIの原因の一部をうまく説明できるかもしれません。また、線条体を中心とした脳の報酬ネットワークが、努力や報酬よりもERIと強く関連しているとすれば、努力や報酬ではなく、両者の不均衡が人間にとってより有害である理由の一部を説明できるかもしれません。

残念ながら、現代人は、良心的な従業員のやりがいを利用し、組織に利益をもたらすふりをしながら従業員にERIを引き起こす悪意あるマネージャーの行動を防ぐのに十分なほど進化していません。また、残念ながら、現生人類の脳は搾取に耐えられるようには進化しておらず、ERIによる混乱が心身の病気を引き起こすこともあります。したがって、今日の過度の搾取から労働者を守り、組織の持続可能性を高めるためには、労働者、経営者、ステークホルダーが、ERIをタイムリーに認識できるように、アンケート調査をうまく活用する必要があります。

 

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)

【従業員の勤労意欲を高めるために】第896回:やりがい搾取(11)ボランティアの働き方から搾取を考える

第896回:やりがい搾取(11)ボランティアの働き方から搾取を考える

前回は、海外駐在員が努力と報酬の不均衡(ERI)に対する耐性が低く、そのため、求められる努力に相応しい待遇や労働環境を用意する必要があることを述べました。過剰な情熱は、時に、文化の異なる周囲の仲間との協調を難しくします。しかし、現実には、日本本社のグローバル化の遅れなどにより駐在員の裁量に任されている仕事が多く、そのため報酬を超えた努力を強いられるケースも少なくないようです。

駐在員の対極には、例えば、無償または有償のボランティアが挙げられます。有償ボランティアとは、標準よりも低い賃金で、ボランティアとしてパートタイムで働く人々のことです。多くの場合、補償額は最低賃金を下回っています。他人を助けたり、自分の能力を発揮したりしたいという内発的な動機づけが、彼らを駆り立てています。そのため、努力と報酬に乖離があってもパフォーマンスが下がることはありません。もちろん、パフォーマンスが低下しないからといって、不均衡を正当化できるわけではありません。多くの有償ボランティアは、業務を遂行する人材が不足し、需要に供給が追いつかない状況に陥っています(有償ボランティアを取り扱う非営利団体で筆者が行ったインタビュー調査による)。

これは、内発的動機づけだけで働ける人に頼ることの限界を示しています。すなわち、たとえボランティアの当人たちに不満がなくても、需給ギャップを埋めるために待遇を改善することには小さくない意義があります。このことは、介護や育児など、人手不足で疲弊している分野も同様です。そのため、現在、ボランティア業務を引き受けている人たちがどのようなメンタリティを持っているのか、また、その対極にある駐在員とどのような違いがあるのかを知ることは、行政や企業経営者、求職者の認識や態度を改善する上でも意味があると考えられます。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第895回:やりがい搾取(10)海外駐在員とやりがい搾取

第895回:やりがい搾取(10)海外駐在員とやりがい搾取

前回は、「許容できる不均衡を見つけるための研究」の必要性を述べました。こうした研究は、特に日本において強く求められていると考えられます。日本の付加価値に占める人件費の割合、いわゆる「労働分配率」は一貫して低下傾向にあり、とりわけ、1996~2000年から2016~2020年までの低下幅はOECD諸国の中でも上位に入るほどの大きさです(厚生労働省, 2023)。言い換えれば、今日の日本は、以前の日本よりも搾取的であり、世界の趨勢を逸脱しています。しかし、日本企業の国際競争力の低下という事情に照らせば、ある程度の賃金抑制はやむにやまれぬものであったという側面もあります。厚生労働省の分析によれば、労働分配率の低下は主に賃金の伸び悩みによるものであり、(1)先行きの不透明感による企業の内部留保の増加、(2)労働組合組織率の低下による労使間交渉力の低下、(3)産業構成・勤続年数・パート比率等の雇用者構成の変化を原因としています(厚生労働省, 2023)。

努力と報酬の不均衡(ERI)への労働者の耐性を考えるうえで、読者の皆さんのような海外駐在員の働き方を考えるのは良い出発点です。海外子会社に派遣される駐在員は、ERIに対する耐性が低い仕事の代表例といえるかもしれません。駐在員の使命は、3年から5年の任期中に本社から与えられた任務を遂行することです。駐在員に過剰な権限が与えられると、現地法人の活動が本社の意図から逸脱し、エージェント(現地子会社または駐在員)が自分の利益を優先してプリンシパル(本社)の利益を損なう、いわゆる「エージェンシー問題」が発生します。日本企業はこの問題に特に敏感であり、その結果、他の先進国の企業よりも現地化に消極的であることが知られています。また、内発的な意欲や情熱は、面白くない仕事をする人への差別や、自信過剰、協調性の欠如につながり易いことが先行研究から明らかです。

現地の文化を理解し尊重しながら現地人材と協力して働く必要がある駐在員が過剰な熱意を持っていると、 日常の管理業務に支障をきたす可能性があります。ERI、すなわち、労働条件に反映された本社の期待を超えた努力が発生する状況では、トラブルが発生し、駐在員の業務遂行能力が低下すると考えられます。しばしば取り沙汰される駐在員の不適応による健康状態の悪化、早期帰国、自殺などの問題も、ERIによって引き起こされる可能性があります。こうした問題が起きないために、日本本社は、現地に派遣する駐在員の人選に慎重を期すとともに、駐在員への期待する働き方を明確に提示して、求められる努力に相応しい待遇や労働環境を用意する必要があります。

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

厚生労働省(2023).令 和 5 年 版 労働経済の分析-持続的な賃上げに向けて〔概要〕令和5年9月、厚生労働省.https://www.mhlw.go.jp/content/12602000/001149098.pdf

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第894回:やりがい搾取(9)搾取はどこまで許されるのか?

第894回:やりがい搾取(9)搾取はどこまで許されるのか?

前回は、職種別の搾取の実態に関する研究が乏しいことや、女性や地位の低い若者がやりがい搾取のターゲットになり易いことを述べました。

加えて、既存のやりがい搾取研究においては、「どの程度の不均衡が許容されるのか」について、経営者の視点からの分析が不足しています。もしも不均衡が常に従業員の否定的な経済行動や精神的・身体的障害につながるのであれば、長期的で合理的な視点を持つ経営者は搾取を避けたいと思うでしょう。しかし、長年にわたり、経営者が内発的動機づけ理論やリーダーシップ理論などを参考に従業員から報酬を超えた努力を引き出すための努力をしてきたことも事実です。このことは、少なくとも経営者の短期的な視点からは、搾取に一定のメリットがあることを意味します。もしもやりがい搾取と努力・報酬の不均衡(ERI)が誰の目からも明らかに有害であるならば、経営者はとっくの昔にそれを放棄していたでしょう。

一見すると「許容できる不均衡を見つけるための研究」という考えは傲慢に聞こえます。しかし、不均衡を許容する経営者であると世間から見られたくないために内発的動機づけや変革的リーダーシップなどの美しい言葉に頼る経営者は、劣悪な労働条件を隠すために人材採用の現場で「ウチの仕事はチャレンジングですよ」などと言い真実を隠蔽する行為に近いといえます。どの程度の不均衡が有害であるかが明らかになれば、組織やそのメンバーの凋落につながる不合理な搾取がより目立つため、労働者にとっても有益なものとなる可能性があります。

しかし、やりがい搾取やERIに対する耐性を明らかにする研究がランダム化比較試験などを採用すると、参加者が一定期間搾取の対象となるため、倫理的な問題が生じるリスクがあります。したがって、失業や心身の不調などの経済行動を経験した参加者に、その経験の原因を問うケースコントロール研究や、標準化された質問紙を用いた横断研究を行うことが望ましいでしょう。さらに、このような研究を進めるためには、労働者の視点を持つ社会学、倫理学、公衆衛生学の研究者や、経営者の視点を持つ経営学や経済学の研究者が、やりがい搾取やERIの研究にもっと関与し、同じテーブルで議論することが望ましいでしょう。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第893回:やりがい搾取(8)女性ほど被り易い、努力と報酬の不均衡

第893回:やりがい搾取(8)女性ほど被り易い、努力と報酬の不均衡

前回は、努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)により、脳の報酬系が混乱を起こし不健康な行動への抑制が働かなくなるというお話でした。

やりがい搾取のこれまでの研究は、地位の低い若者ほど、また男性よりも女性が、搾取され易い傾向があることを示しています。さらに、ERIと冠状動脈性心臓病との関連は、社会経済的地位の高い従業員よりも低い従業員、高齢の従業員よりも若い従業員で大きいことが示されています。同様に、最近の研究では、ERIと自殺念慮との関連は、性別、地域、教育、および世帯収入によって異なることが示されています。しかし、ほとんどの研究は、部門ごとの医療専門家の意識を扱った一部の研究を除いて、不均衡の違いと職業によるその影響にほとんど関心を示していません。

現在、ジェンダー不平等の視点を持つ研究者によって、職業とERIの関係が部分的に示されています。たとえば、2008年から2014年にかけてスウェーデンで実施された研究では、女性は男性よりも長時間働き、無給労働に多くの時間を費やしていることがわかりました。また、この研究では、無給労働時間の増加と抑うつ症状の進行の増加との関連が、男性よりも女性の方が大きいことも示されました。しかし、こうした問題は、ジェンダーギャップが大きい国に深く根ざしている可能性があります。例えば、日本では、育児や介護を、重労働であるにもかかわらず、女性が家庭でタダでやるべき仕事と捉えている人が多く、それがこれらの産業の賃金が低水準に抑えられている理由かもしれません。したがって、国や産業によって異なる搾取の実態について客観的な情報があれば、これらの人々に必要な支援を引きつけるのに役立つでしょう。例えば、ERIを用いた大規模な調査は、そのような証拠集めに貢献するでしょう。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第892回:やりがい搾取(7)努力に見合った報酬が得られないと脳が混乱する

第892回:やりがい搾取(7)努力に見合った報酬が得られないと脳が混乱する

前回は、進化生物学のタームである「間接互恵性」がやりがい搾取や努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)に関係する可能性があることを述べました。

一方、脳科学では、努力と報酬に関わる脳領域の解明が進められています。ERIモデルの支持者は、社会的交換の失敗による不平等の経験が脳の報酬回路、視床下部-下垂体-副腎軸を過剰に活性化し、体内のいくつかの調節システムにストレス過負荷の状態を引き起こす可能性があると主張しています。これと一致して、以前の研究では、努力と報酬の計算に関与する皮質-線条体ネットワークの障害が疲労と有意に関連していることが示唆されています。最近のメタアナリシスでは、より具体的に、補足運動野は努力と関連しており、腹内側前頭前野と腹側線条体は報酬の正味値から努力を引いたものと関連していることが示されています。同様に、最近の研究では、ERIが、左淡蒼球の灰白質体積の減少と、前頭前野、線条体、および小脳の機能的接続性の変化に関連していることも示されています。これらの研究は、ERIが、特に線条体において脳の報酬系を損ない、仕事へのモチベーションを低下させ、不健康な生活習慣を促進する可能性があることを示唆しています。

なぜ努力ではなく、努力と報酬の不均衡が心身の異常をもたらすのかについては直感的に理解し難いですが、このように、脳の報酬系が混乱を起こし不健康な行動への抑制が働かなくなると考えれば、生物学的に合理的な説明が可能です。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第891回:やりがい搾取(6)集団の論理で自滅する組織

第891回:やりがい搾取(6)集団の論理で自滅する組織

前回は、人間が作り出した社会システムに対する脆弱性が、努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)による心身の崩壊にかかりやすい原因かもしれないというお話でした。

この未解決の問題に取り組むためには、進化生物学や脳科学など、人間の特殊性に関連するさまざまな分野の視点を取り入れる必要があるかもしれません。例えば、進化生物学では、第三者の評判に基づく協力のメカニズムを「間接互恵性」と呼んでいます。直接的な利益がないにもかかわらず評判の良い人に協力したり助けたりする行動は、人間以外の生物ではめったに観察されません。したがって、間接互恵性は、人間が進化の過程で獲得した行動であると考えられています。間接互恵性は、評判が損なわれると誰からの支援も得られなくなるという強力なペナルティを課すことにより、フリーライダー、つまり他人に協力しない個人の増加を防ぎます。このように、人間は集団を維持するために個人に負担を強いる社会を作り、その結果、生存を維持してきたのです。この集団の能力は現代社会にも存在し続けており、個人よりも集団を優先する文化が強い社会(一般的には厳しい自然環境で生き抜くために結束を必要とする社会)が、COVID-19のパンデミックによる感染数の増加を抑制できたことを示す研究結果もあります。

しかし、グループを管理する人々はしばしばこのメカニズムを悪用し、メンバーに肉体的および精神的に破壊的な過度の負担を負わせます。そのような組織は、互恵主義が失敗し、持続不可能な状態にあるため、マネージャーによるそのような行動は、従業員の離職や病気につながるだけでなく、最終的には組織自体を危機に陥れる可能性があります。この種の不合理性は、相互利益を前提とする伝統的な二者間互恵性から明らかに逸脱しています。したがって、間接互恵性の概念をERIとやりがい搾取のモデルに組み込むことは、互恵性の失敗のメカニズムと、一見すると不合理なほどに搾取的な組織行動によるERIの発生をよりよく理解するのに役立つかもしれません。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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