【従業員の勤労意欲を高めるために】第891回:やりがい搾取(6)集団の論理で自滅する組織

第891回:やりがい搾取(6)集団の論理で自滅する組織

前回は、人間が作り出した社会システムに対する脆弱性が、努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)による心身の崩壊にかかりやすい原因かもしれないというお話でした。

この未解決の問題に取り組むためには、進化生物学や脳科学など、人間の特殊性に関連するさまざまな分野の視点を取り入れる必要があるかもしれません。例えば、進化生物学では、第三者の評判に基づく協力のメカニズムを「間接互恵性」と呼んでいます。直接的な利益がないにもかかわらず評判の良い人に協力したり助けたりする行動は、人間以外の生物ではめったに観察されません。したがって、間接互恵性は、人間が進化の過程で獲得した行動であると考えられています。間接互恵性は、評判が損なわれると誰からの支援も得られなくなるという強力なペナルティを課すことにより、フリーライダー、つまり他人に協力しない個人の増加を防ぎます。このように、人間は集団を維持するために個人に負担を強いる社会を作り、その結果、生存を維持してきたのです。この集団の能力は現代社会にも存在し続けており、個人よりも集団を優先する文化が強い社会(一般的には厳しい自然環境で生き抜くために結束を必要とする社会)が、COVID-19のパンデミックによる感染数の増加を抑制できたことを示す研究結果もあります。

しかし、グループを管理する人々はしばしばこのメカニズムを悪用し、メンバーに肉体的および精神的に破壊的な過度の負担を負わせます。そのような組織は、互恵主義が失敗し、持続不可能な状態にあるため、マネージャーによるそのような行動は、従業員の離職や病気につながるだけでなく、最終的には組織自体を危機に陥れる可能性があります。この種の不合理性は、相互利益を前提とする伝統的な二者間互恵性から明らかに逸脱しています。したがって、間接互恵性の概念をERIとやりがい搾取のモデルに組み込むことは、互恵性の失敗のメカニズムと、一見すると不合理なほどに搾取的な組織行動によるERIの発生をよりよく理解するのに役立つかもしれません。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第890回:やりがい搾取(5)残業するホモ・サピエンス?

第890回:やりがい搾取(5)残業するホモ・サピエンス?

あけましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願いします。前回は、努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)がストレスや病気の原因であるというお話でした。なぜでしょうか。

この問を解く手がかりは、狩猟採集で生活している先住民が、がん、心血管疾患、高血圧、2型糖尿病などのERIに伴う病気に苦しむことがほとんどないという事実にあるのかもしれません。これらの病気は、農業が私たちの生活に定着し、定住生活を送り始めた頃に発症するようになりました。ある文献によれば、私たちの脳と体は、約20万年前に現生人類であるホモ・サピエンスがアフリカに現れて以来、ほとんど変わっていません。彼らのように狩猟中心の生活を送っているのなら、報酬に見合った努力をするだけでバランスが崩れることを心配する必要はありません。お腹が空いたら生き残るために動物を攻撃し、お腹がいっぱいになると、またお腹が空くまで狩りをしません。私たちの心と体は、狩猟によって生きるようにプログラムされているのかもしれません。

しかし、我々は、しばしばこの生物学的法則に反し、近い将来に必要のない報酬を求めて努力します。例えば、組織内で良い評判を得ることが、今は重要でなくても、将来の昇進の機会に関係しているからかもしれません。あるいは、今は非効率的で時間がかかっていても、将来の海外展開のためには、グローバルな倫理基準を遵守する必要があるからかもしれません。その結果、長時間残業、休日労働など、報酬に反映される組織の期待を超える努力をしてしまい、また、疲れた心身を癒すためにアルコールや甘いものを過剰に摂取してしまい、さらなる心身の不調を引き起こしてしまうことがあります。このように、人間が作り出した社会システムに対する脆弱性が、ERIによる心身の崩壊にかかりやすい原因なのかもしれません。したがって、この未解決の問題に取り組むためには、進化生物学や脳科学など、人間の特殊性に関連するさまざまな分野の視点を取り入れる必要があるかもしれません。次回に続きます。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第889回:やりがい搾取(4)なぜ努力と報酬の「バランス」が大事なのか?

第889回:やりがい搾取(4)なぜ努力と報酬の「バランス」が大事なのか?

前回は、努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)ややりがい搾取と、内発的動機づけとの境界は曖昧であることを述べました。

従業員の視点から見ると、ERIはネガティブな経済行動や心身の病気と関連しており、また、やりがい搾取は搾取される人の性格と関連しています。同時に、経営者にとっても、内発的動機づけには協調性の低下などのネガティブな側面があります。これらは、個々の従業員のやりがいと努力に頼る経営は、短期的には成功するかもしれませんが、長期的に維持するのは難しいことを示唆しています。以上を踏まえて、今後は、(1)ERIややりがい搾取についての理解を深める、(2)これらが発生する可能性が高い仕事の種類を特定する、(3)ERIややりがい搾取が仕事によってどの程度許容されるのか、あるいは許容されないのかを明らかにするための研究が必要です。以下では、この3つのポイントを順番に見ていきます。

まず、多くの研究がERIとやりがい搾取がストレスを引き起こすと主張していますが、そのメカニズムは明らかにされていません。なぜ、組織では互恵性が損なわれ、不合理な不均衡が生じるのでしょうか?なぜ、重要なのは努力ではなく、努力と報酬の「不均衡」なのでしょうか?もしも仕事の「量」が大事であれば、重要なのは努力であり、報酬は関係ないはずです。ストレスの潜在的な生理学的指標として知られている毛髪コルチゾール濃度(HCC)を使用したある研究では、仕事の量の大きい労働者のHCCはERIおよび努力と相関しているが、報酬とは相関しないことが示されています。このことから、身体的負荷の大きさを原因とするストレスには、主に報酬よりも努力が関係している可能性があります。

しかし、近年では、努力や報酬だけではなく、両者のバランスが重要であると主張する研究が増える傾向にあります。たとえば、1985年から2005年の間にヨーロッパ6か国で実施された11の独立したコホート研究のデータを使用したメタアナリシスの結果は、職場でERIを経験した人々は、職場で経験したストレスに関係なく、冠状動脈性心臓病のリスクが高いことを示しました。さらに、最近の研究では、努力と報酬のバランスが取れている従業員は、過度の努力をしている従業員と比較して、さらには過剰な報酬を得ている従業員と比較して、仕事への関与が高く、生活満足度が高く、うつ病の症状が少ないことが示されています。ただし、ERIがすべての労働者に同じ影響を与えるわけではないことに注意が重要です。例えば、ある研究は、女性は男性に比べて、仕事を辞める意図に関して、報酬よりも努力に影響を受ける可能性が高いことを発見しました。

しかし、残念ながら、ほとんどの研究は、不均衡がストレスの原因であると決定論的に主張するだけで、この原因を深く掘り下げることを避けています。来週、この問題にもう少し踏み込んでみましょう。

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第888回:やりがい搾取(3)内発的動機づけの限界

第888回:やりがい搾取(3)内発的動機づけの限界

前回は、忠実な人や寛大な人がやりがい搾取の標的になりやすいというお話でした。

やりがい搾取の理論は、古典的な心理学理論である「内発的動機づけ」の否定的な側面を強調しています。内発的動機づけの理論は、お金などの外発的動機づけだけでは従業員のパフォーマンスを引き出すには不十分であるという前提で、人的資源管理論に取り入れられました。この理論の魅力は、報酬によって提供されるものを超えた努力を引き出すことです。ちなみに、従業員から内発的なモチベーションを引き出す方法の一つに、「変革的リーダーシップ」の理論があり、これは従業員の意識を高め、指示された仕事を超えたパフォーマンスを引き出すことを目的としています。少し大胆に言うと、内発的動機づけや変革的リーダーシップの理論は、経営者の視点に立った肯定的な見方であり、やりがい搾取の理論は、従業員の視点に立った否定的な見方です。どちらも、努力と報酬の差(effort-reward imbalance, ERI)を見ていることに変わりはありません。

しかし、近年では、経営の観点からも、内発的動機づけに対する慎重な見方をする研究が出現しています。その中には、「内発的動機付けの道徳化」についての懸念があります。この議論は、自分の好きなことをするという規範的な圧力が、人々が自分自身や他人にとって満足のいく仕事を追求することを奨励する一方、面白くない仕事を無視することにつながる可能性を主張しています。さらに、「道徳化」の起きた職場では、動機づけられていないように見える人々や、異なるタイプの動機を持つ人々に対する差別的な態度が引き出され、そのことで組織内の全体的な結束に影響が及ぶ可能性があります。この「道徳化」理論と一致して、他の研究者は、仕事への熱意が自信過剰と協力の欠如に簡単に結びつくことを発見しました。

したがって、内発的動機づけは万能薬ではありません。また、上記の議論を考慮すると、内発的な動機を持つ従業員もまた、ERIや情熱搾取の被害者であるケースも少なくないでしょう。内発的なモチベーションが長く続いていると疲れ果て、ある日突然、仕事を辞めたり、心身の不調を訴えたり、チームワークを乱すような行動をとったりと、ネガティブな行動をとることがあるかもしれません。同様に、自分は本質的に動機づけられていると信じていた忠実な従業員は、いつの日かやりがい搾取の標的になっていたことに気がつくかもしれません。だとすると、ERIややりがい搾取と内発的動機づけとの境界は曖昧であり、既存の経営学や心理学が、まだ世の中のビジネスパーソンの期待に応えきれていないことを示しています。

 

Kokubun, K. (2024). Effort–Reward Imbalance and Passion Exploitation: A Narrative Review and a New Perspective. World, 5(4), 1235-1247. https://doi.org/10.3390/world5040063

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第887回:搾取の標的になりやすい人

第887回:やりがい搾取(2)搾取の標的になりやすい人

前回は、「努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)」の議論を紹介して、努力にふさわしい報酬が得られないと様々な問題が発生することを述べました。努力と報酬の不均衡は、「やりがい搾取(passion exploitation)」という別の概念で議論されています。やりがい搾取とは、雇用主が従業員に、不当に長時間かつ低賃金で働かせることで、従業員のやりがいを搾取する慣行を指します。今日、このような慣行に従事する企業は「ブラック企業」と呼ばれ、日本を含む儒教社会の特徴である集団主義や同調圧力との関連で議論されることがあります。しかし、同様の慣行は世界中で見られ、たとえば、ある研究は、米国の情報技術(IT)ベンチャーが家族のような雰囲気を作り出し、従順な従業員を飼い慣らし、搾取する実態について証拠を示しています。

さらに、このような慣行はすべての労働者を同じ程度にターゲットにしているわけではないことが明らかになっています。これまでの研究では、物語の登場人物に共感できる度合いを実験的に測定することで、忠実な人や寛大な人が搾取の標的になりやすいことが示されています。興味深いことに、これらの研究は、搾取される労働者の多くが、搾取を強いられているからではなく、搾取されることを半ば望んでいるために、搾取されていることを描いています。たとえば、上司は忠実な部下をターゲットにして、本来の役割を超えた仕事を与えますが、ターゲットとなった部下は、そのような余分な仕事を引き受けることが美徳であると信じ、忠実であるという評判を得るために進んで余分な仕事を引き受けます。

このように、やりがい搾取は、たとえそれが悪循環を伴っても、組織と従業員の両方の同意を得て成立します。最近のメタアナリシスの結果によると、人々は、情熱的な労働者が劣悪な待遇(職務内容に関係のない屈辱的な仕事や無給残業など)を受け入れることを当然と見做す傾向があることも示されています。これは主に、情熱的な労働者にとっては仕事自体が報酬であるという信念に基づいています。裏を返せば、やりがいは、労働者に対する劣悪で搾取的な待遇の受け入れにつながる可能性があります。

筆者が日系現地法人で従業員にアンケート調査を行うと、時々、「日本人の上司は頼み易い人に仕事を頼むので、特定の人に仕事が集中する」という不満の声が返ってきます。これも、一種のやりがい搾取といえます。不慣れな異文化環境で日本人駐在員の気持ちを察して、進んで手助けしてくれる現地人材の存在は有難いものです。しかし、有難いで済ませると、職場のモラルが崩壊して、やがて前回述べたように様々な問題が発生する可能性があります。

 

Kokubun, K. (2024). Effort-reward imbalance and passion exploitation: A narrative review and a new perspective. Preprints 2024, 2024090721. https://doi.org/10.20944/preprints202409.0721.v1

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【従業員の勤労意欲を高めるために】第886回:やりがい搾取(1)努力と報酬の不均衡は病気を招く

第886回:やりがい搾取(1)努力と報酬の不均衡は病気を招く

前回までは、高齢者へのICTの普及に向けた課題や可能性についてお話しました。今回からは「やりがい搾取」について書きます。第1回目の今回は、やりがい搾取と関係の深い「努力と報酬の不均衡(effort-reward imbalance, ERI)」について紹介します。読者の皆さんには聞き慣れない言葉かも知れませんが、ERIに関する研究は、今日、ますます活発になっています。

ERIは、高い努力と低い報酬を特徴とする労働条件を指し、仕事のストレスを評価するために使用されます。ERIの概念は、個人が自分の労働を提供し、それに対して報酬が得られることを望む「社会的交換」の考え方に基づいています。ERIモデルによると、個人が仕事に費やす時間と努力は、お金、尊敬、キャリアアップなどの機会で補償されます。個人は、自分が与えるものと引き換えに自分にふさわしいものを受け取らないとストレスを感じます。したがって、ERIは、仕事のモチベーションと満足度を低下させ、組織コミットメントや燃え尽き症候群、欠勤、離職率を高めます。

さらに悪いことに、ERIは個人の身体的または精神的健康に悪影響を与える可能性があります。以前の研究では、ERIが心血管疾患やメタボリックシンドローム、冠状動脈性心臓病、糖尿病、および抑うつ症状のリスクを高めることが示されています。人は、仕事のストレスに長時間さらされると、自律神経が活性化し、コルチゾールの放出が増加するため、メタボリックシンドロームにつながる可能性があります。或いは、いくつかの研究は、ERIが不健康な食事などの生活習慣要因の悪化を通じて、メタボリックシンドロームや他の病気のリスクを高めることを示唆しています。

さらに、ERIのリスクは、すべての労働者にとって平等ではありません。Zhang et al.(2024)は、看護師のERIの発生率が時間の経過とともに徐々に増加していることや、ERIの発生率がアジアで高いこと、さらに、手術室、救急科、小児科、ICUなどの特定部門の看護師の間で高いことを発見しました。これは、これらの部門の看護師の日々の仕事量が多く、また、他の部門の看護師よりも多くの仕事のプレッシャーに耐えているためと考えられます。

努力にふさわしい報酬が得られないと、様々な問題が発生します。皆さんの職場でも注意して見ていくことが大事です。

 

Kokubun, K. (2024). Effort-reward imbalance and passion exploitation: A narrative review and a new perspective. Preprints 2024, 2024090721. https://doi.org/10.20944/preprints202409.0721.v1

Zhang, Y., Lei, S., & Yang, F. (2024). Incidence of effort-reward imbalance among nurses: a systematic review and meta-analysis. Frontiers in Psychology, 15, 1425445. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2024.1425445

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京都大学経営管理大学院特定准教授、東北大学客員准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、産業創出学の構築に向けた研究に従事している。
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【従業員の勤労意欲を高めるために】第885回:高齢化社会との向き合い方(12)学びたければ、人に教えよう

第885回:高齢化社会との向き合い方(12)学びたければ、人に教えよう

前回は、高齢者へのICTの普及に向けて、習得した知識を他人に教えることによる自己効力感を活用することを提案しました。

他人に教えることは、それ自体、教える側の学習効果を高める可能性があります。認知科学者は、人々が情報を理解し、それを他の人が理解できるようにしなければならない状況に置かれたときに学習が強化されることを主張しています。

例えば、Nestojkoら(2014)による実験では、56人の大学生が無作為に2つのグループに分けられ、あるテキストを読んで暗記するように求められました。実験に先立ち、2つのグループは、テストが近づいているかのように勉強するか(グループ1)、他の生徒に教えるかのように勉強するか(グループ2)のどちらかの指示を受けました。実験の結果、グループ2はグループ1よりも正確に内容を記憶することができました。

この論文の著者は、結果の違いが、人々が他人に教えなければならないと思うときに、自然に物事を要約しようとするために生じたものかもしれないと考察しています。同様の結果は、124人の大学生の参加者を対象としたKohら(2018)の研究でも示されました。著者らは、以前に記憶した情報を他の人が理解できる形で思い出すことが記憶を強化するのに役立つ可能性があると主張しています。

このように、高齢者が高齢者を教えるという循環の確立は、費用対効果に優れるだけでなく、学習効果の点でも高い成果をあげる可能性があります。

 

Koh, A. W. L., Lee, S. C., & Lim, S. W. H. (2018). The learning benefits of teaching: A retrieval practice hypothesis. Applied Cognitive Psychology, 32(3), 401-410. https://doi.org/10.1002/acp.3410

Nestojko, J. F., Bui, D. C., Kornell, N., & Bjork, E. L. (2014). Expecting to teach enhances learning and organization of knowledge in free recall of text passages. Memory & Cognition, 42, 1038-1048. https://doi.org/10.3758/s13421-014-0416-z

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【従業員の勤労意欲を高めるために】第884回:高齢化社会との向き合い方(11)教え合いと自己効力感

第884回:高齢化社会との向き合い方(11)教え合いと自己効力感

前回は、マンツーマンで時間をかけて丁寧に指導を行うことで、高齢者のICTスキルの向上が期待できるというお話でした。

しかし、社会実装を視野に入れれば、当然、費用対効果の点で実現可能なものでなくてはいけません。そこで注目したいのが、高齢者の自己効力感です。これまでに多くの研究で、他人を助けることが自己効力感の向上につながることが確認されています。例えば、Barlow & Hainsworth(2001)は、22人の高齢ボランティアがリーダーになるためのトレーニングを受けたときの動機を探るためにインタビューを行いました。その結果、ボランティア活動は、①退職によって残された人生の空白を埋めること、②他人を助けることで社会の役に立つこと、そして③仲間を見つけることという3つの主要なニーズによって動機づけられていることが明らかになりました。この結果は、高齢者のボランティア活動が、退職や健康の低下に伴う損失を相殺するのに役立つことを示唆しています。

そこで、私の最近の論文(Kokubun, 2024)では、高齢者へのICTの普及に向けて、図に示すように、習得した知識を他人に教えることによる自己効力感を活用することを提案しています。

まず、高齢者は好きなICTの機能を学び始めます(興味のあることから始める)。これにより、ICTが楽しくて便利であることを、より早く、簡単に実感することができます(楽しさや実用性を実感)。ICTが楽しいほど、早く学ぶことができます(早い習得)。そして、彼らは、自分たちが学んだICTを他の高齢者に教えます(人に教える)。他人に教えるという行為は、自分の能力に対する自信を高めます(自己効力感)。自分の能力に対する自信が高まると、ICTに対する抵抗感が減り、他の機能を学ぶモチベーションが高まります(興味のあることから始める)。

このように、高齢者の自己効力感を活用した、高齢者が高齢者を教えるという循環の確立は、高齢化社会におけるICT等の新技術の普及のために有効な手段の一つとなる可能性があります。

 

Barlow, J., & Hainsworth, J. (2001). Volunteerism among older people with arthritis. Ageing & Society, 21(2), 203-217. https://doi.org/10.1017/S0144686X01008145

Kokubun, K. (2024). How to Popularize Smartphones among Older Adults: A Narrative Review and a New Perspective with Self-Efficacy, Social Capital, and Individualized Instruction as Key Drivers. Psychology International, 6(3), 769-778. https://doi.org/10.3390/psycholint6030048

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【従業員の勤労意欲を高めるために】第883回:高齢化社会との向き合い方(10)個別指導でICTスキルを高める

第883回:高齢化社会との向き合い方(10)個別指導でICTスキルを高める

前回は、加齢による身体の衰えに加えて、自己効力感やソーシャルキャピタルの欠如が、高齢者のICT利用を阻む原因になっていることを述べました。そのため、孤立している高齢者ほどICTを利用しない・できないというジレンマがあります。この問題にどのように取り組めばいいでしょうか。

スキルとデジタルリテラシーを促進するうえでグループベースのICTトレーニングが有効であることを示す証拠があります。Zhao et al. (2020) の研究では、無作為化比較試験(RCT)により、344人の高齢の参加者が介入群または待機リスト対照群のいずれかに割り当てられました。20週間にわたって週に1回、スマートフォンのトレーニングプログラムを受けた介入群では、スマートフォンのコンピテンシーと生活の質が高まりました。しかし、こうした画一的なトレーニングが一部の高齢者にとって有効であったとしても、他の高齢者にとって同様に有効であった可能性は低いと考えられます。そのことは、この研究に示された一部の指標の効果量の低さにも表れています。

そのため、近年の研究は、画一的なアプローチから、教育と学習への個別化されたアプローチへの脱却を主張しています(Arthanat et al., 2021; Fields et al., 2021)。このうち、Arthanat et al. (2021) の研究では、2年間のRCTにより、83人の高齢者が介入群と対象群に分けられた後、6か月間隔で、デジタルリソースへのアクセスと活用を促進するための、コーチと参加者の1対1のICTトレーニングが実施されました。その結果、介入群の高齢者は、対照群の高齢者よりも、様々な余暇や健康管理、日常的な活動に多く従事するようになりました。また、テクノロジーの受容性が大幅に向上し、自立感が維持されました。この結果は、マンツーマンで時間をかけて丁寧に指導を行うことで、ICTスキルの向上が期待できることを示しています。

しかし、社会実装を視野に入れれば、当然、費用対効果、或いは、時間帯効果の観点で実現可能なものでなくてはいけません。個別のニーズに応えようとするあまり費用や時間のかかるトレーニングを設計すれば、それだけ事業継続が困難になります。この問題を、既存の研究は真剣に取り組んでいないように思います。次回に続きます。

Kokubun, K. (2024). How to Popularize Smartphones among Older Adults: A Narrative Review and a New Perspective with Self-Efficacy, Social Capital, and Individualized Instruction as Key Drivers. Psychology International, 6(3), 769-778. https://doi.org/10.3390/psycholint6030048

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【従業員の勤労意欲を高めるために】第882回:高齢化社会との向き合い方(9)孤立している高齢者ほどICTを利用しないというジレンマ

第882回:高齢化社会との向き合い方(9)孤立している高齢者ほどICTを利用しないというジレンマ

前回は、ICTの普及により高齢者が犯罪に巻き込まれるリスクが高まるというお話でした。ICTの健全な普及のためには、高齢者への適切な教育や、家族や職場の上司などの周りの人間との信頼関係の構築が必要です。

このようなリスクが伴うものの、前々回に述べたように、ICTには高齢者の孤立を防ぐという良い面があります。しかし、高齢者はしばしばICTの利用を避けます。高齢者がICTを避ける理由についての代表的な議論は、彼らの身体の衰えに関するものです。年齢による身体の変化は、テクノロジーに対する理解や使用を困難にします。例えば、認知機能の低下は、日常活動のパフォーマンスの低下と関連しているため、高齢者による新技術の受け入れに悪影響を与える可能性があります。また、高齢者に多く見られるうつ病は、否定的な感情を高め、新技術への適応を阻害する可能性があります。こうした条件が重なれば、高齢者は、ICTをうまく使えず、そのことに恥ずかしさを感じ、自信が低下し、不安が増大することで、ますます、ICTの使用を避けるようになります。

しかし、加齢による身体の衰えだけが高齢者のICT利用にとっての障壁ではないようです。むしろ、先行研究は、ICT利用に悪影響を与える主な要因が、自己効力感やソーシャルキャピタルの欠如であることを主張しています。すなわち、ICT利用をサポートしてあげられる子や孫などが同居していなかいことで、或いは、ICTを上手く使えているという実感や、ICTの利用により生活が改善されているという実感が得られないことで、高齢者はICT利用に対する意欲を簡単に失います。一方、既存のソーシャルサポートがある高齢者は、ICTのメンテナンスやトラブルシューティングの支援を受け易く、そのため、ICTを多く使用する傾向にあります。
すなわち、現代社会には、孤立している高齢者ほど、孤立を防ぐ可能性のあるICTを利用しないというジレンマがあります。この状況を乗り越えるための方法について、次回考えてみましょう。

Kokubun, K. (2024). How to Popularize Smartphones among Older Adults: A Narrative Review and New Perspectives, Preprints, 2024081157. https://doi.org/10.20944/preprints202408.1157.v1

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
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