【総点検・マレーシア経済】第509回 第2次トランプ政権の関税政策がマレーシアに与える影響は?

第509回 第2次トランプ政権の関税政策がマレーシアに与える影響は?

2024年11月の米大統領選挙において、ドナルド・トランプ前大統領が再選を決めました。トランプ次期大統領は、中国製品に対する60%~100%の関税と、その他の国々に対する10%~20%の関税を導入することを掲げています。

マレーシア経済は、2018年から始まった米中貿易戦争の「漁夫の利」を大きく受けた国の一つとされており、実際、近年は米中両国からマレーシアへの大型の投資が相次ぎ、米国向けの輸出は今年8月にシンガポール、中国を上回って国別の輸出先として首位に立ちました。これは、2007年12月以来、実に16年8カ月ぶりのことです。

こうなると、気になるのは第2次トランプ政権の関税政策がマレーシア経済に与える影響です。トランプ次期大統領は文書として公約には掲げていないものの、インタビュー等で中国製品に対して60%~100%の関税を課すことに加え、その他の国々に対しても10%~20%の関税を課すと繰り返し発言しています。

筆者の所属するアジア経済研究所の経済地理シミュレーション(IDE-GSM)チームでは、今年4月に米国が対中関税60%、その他の国に10%の関税を課す場合の国別・産業別の影響の試算を行い、11月には対中関税60%、その他の国に20%の関税が課される場合の試算を行いました。どちらのケースでも中国経済への影響はマイナス0.9%と変わらない一方で、米国経済への影響は10%関税ではマイナス1.9%、20%関税ではマイナス2.7%と、高い関税率を他国に課すほど、自国経済への影響のマイナス幅が大きくなることが示されています。

この2つのケースにおけるマレーシア経済への影響を産業別に示したものが図になります。マレーシアを含む全世界への関税が10%の場合(緑棒)、マレーシアではその他製造業(0.8%増)、食品加工業(0.7%増)、農林水産業(0.2%増)などプラスの影響を受ける産業が多く、GDP全体では0.2%増となります。これは、中国への60%関税の「漁夫の利」がマレーシアへの10%の関税のマイナスを全体としては上回っているためです。

一方で、マレーシアを含む全世界への関税が20%の場合(橙棒)、食品加工業(0.6%増)、その他製造業(0.5%増)、自動車産業(0.3%増)などはプラスの影響を受ける一方で、マレーシアの輸出の中心である電子・電機産業への影響はマイナス1.4%とかなり大きくなります。結果、GDP全体への影響はマイナス0.01%とわずかではありますがマイナスとなっています。

これらはあくまでも試算ですが、第2次トランプ政権の関税政策がマレーシア経済に正負どちらの影響を与えるかは関税率次第で、現在のところは見通せないということになります。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第508回 2025年予算のポイント(2)

第508回 2025年予算のポイント(2)

10月18日、マレーシア政府の2025年予算が下院に上程されました。筆者の印象としては、長年続いてきた成長の成果を国民に還元することを強調する予算から、財政再建と経済成長に重点を置いた予算へと転換したように見えます。

マレーシアの税収の対GDP比は12.6%と、タイ(16.1%)、フィリピン(14.1%)、シンガポール(13.7%)に比べて依然低い水準にあると指摘されています。本来は、GSTを導入して財政基盤を強化したいところですが、事実上アンワル政権下では導入しないことを首相が公言しています(本連載507回参照)。そのため、財政基盤強化の代替策として、2025年予算では売上・サービス税の対象拡大や、高額配当所得に対する2%の課税を導入するなどして、税収の拡大を図ることになっています。

2025年の歳入予測は、前年度から5.5%増加し3,400億リンギに達すると見込まれています。うち、税収は2,590億リンギで前年比7.5%増加、法人税が8.1%、個人所得税が7.8%増加する一方で、課税対象を拡大する売上・サービス税は14.2%の増加を見込んでいます。

歳出削減については、アンワル政権発足時からのキーワードとなっている「ターゲット型補助金(targeted subsidy)」導入が2025年予算でも続きます。2023年には電力料金への補助金改革、2024年にはディーゼル補助金改革を行いました。2025年には、補助金改革の中でも最難関とも言えるガソリン(RON95)補助金の改革が始まります。

RON95の補助金改革は、2025年の半ばから始まる予定になっており、富裕層や外国人がRON95ガソリン補助金の40%を享受しているため、この無駄を省くことで約80億リンギが節約されることが見込まれています。その結果、予算の中の補助金・社会支援支出は2023年の718.7億リンギから2025年は525.7億リンギへと約200億リンギ減少する予定です。これだけで、財政赤字は対GDP比で1.15%減少すると考えられます(図1)。

ただし、RON95の補助金改革は、ディーゼル補助金と異なり、国民のほとんどが関係することになるので、ディーゼル補助金のように特別なカードを発行して割安な購入を可能にするわけにはいきません。

11月6日、ラフィジ経済大臣はRON95の改革について、全国民が補助金なしの価格でガソリンを購入し、対象者には現金を給付することで補填するかたちではなく、対象者と非対象者でガソリン価格を2段階にする制度を導入すると発言しました。国民IDカードであるMyKadを利用するのではないかという見方もありますが、具体策は明らかになっていません。

このように、筆者は2025年予算について、成長戦略や財政再建に重きを置いた手堅い予算であるとの印象を受けました。行政改革や汚職撲滅の推進が盛り込まれていることと合わせて、選挙を意識した国民向けの予算が続いていた近年の状況から、アンワル政権は次の選挙までの期間を国の基盤を整える期間であると位置づけている、という認識を持ちました。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第507回 2025年予算のポイント(1)

第507回 2025年予算のポイント(1)

10月18日、マレーシア政府の2025年予算が下院に上程されました。これは、アンワル政権になってから3度目の予算となりますが、初年度の予算は政権交代直前に作成されたものを政権交代後のわずかな時間で改訂したため、実質的には2度目の予算となります。アンワル首相の予算演説は約2時間半と昨年同様の長さでした。

予算の内容とは少し異なるポイントとして、予算説明に入る前に冒頭10分以上を使って予算の「精神」についてアンワル首相が語った点が挙げられます。ムハンマドやアリストテレスの言葉を引用して、望ましい予算とはどのようなものかを語りました。その中では、先日ノーベル経済学賞を受賞したアセモグルらについても触れ、国家の成功には制度が重要である点を述べています。また、自身が各所への視察で得た逸話を盛り込み、予算が現場のニーズに基づいていることを強調しています。

予算のポイントはいくつかありますが、基調としては財政健全化に向けた取り組みをアピールした「地味」な予算であったという印象を筆者は受けました。また、2024年予算ではサービス税の8%への引き上げを発表する一方で、それによる税収増が政府の財政見通しの文書に反映されていなかったり、事前に言及されていた漸進的賃金制度について予算演説でも文書でも全く触れられていなかったりと、ちぐはぐな点が目立ちました。今年度の予算は、それに比べると落ち着いたものとなっています。

財政健全化については、2022年時点でGDP比5.5%であった単年度の財政赤字は、2025年には3.8%にまで縮小すると見込まれています(図参照)。2027~29年までに3.0%まで削減することが目標とされていますが、これまでの推移を見る限り、十分に達成可能であるとみることができます。

さらに、この財政再建に関連して、予算演説に先立つ10月13日、アンワル首相はGSTの導入に前向きなマレーシア華僑商工会議所(ACCCIM)でのスピーチで、「最低賃金が3,000〜4,000リンギになるまで、GSTの導入は考えない」と明言しています。2024年の予算文書の中ではGSTの導入に前向きと取れる記述もありましたが、今回の首相の発言で、アンワル政権が続く限り、少なくとも今後10年はGSTを導入しないことが明確になりました。

これまでの方向性からみると、国民の反発を招く可能性があるGSTを再導入しなくても、補助金の削減とサービス税や他の税の見直し、経済成長によって財政健全化は達成できるとアンワル政権は考えているようです。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第506回 8月の貿易統計、米国向け輸出急増の謎を解く

第506回 8月の貿易統計、米国向け輸出急増の謎を解く

マレーシア統計局は9月19日、8月の貿易統計を発表しました。輸出は前年同月比12.1%増となり、7月に続いて二桁増を記録しました。中でも注目されたのは、米国向け輸出が45.4%増と急増し、国別の輸出先としてシンガポール・中国を上回って首位に立ったことです。米国向けが月次の輸出先で首位になるのは、2007年12月以来、実に16年8カ月ぶりということになります。この米国向けの輸出急増の要因は何でしょうか。

表1はHSコード4桁レベルで見た品目別の対米輸出の変化です。最も増えたのが集積回路(23.3億リンギ増)で、それに記録媒体(12.9億リンギ増)が続きます。集積回路は主に半導体とその部品、記録媒体は主にSSD・フラッシュメモリーです。記録媒体は前年同月比でなんと5.1倍に急増しています。この2品目で8月の対米輸出の増加分の約6割を占めています。以下、医療機器、プリンター等、ラジオテレビ等の部品が続きます。

こうした対米輸出の増加に、米中貿易戦争はどのように関連しているのでしょうか。図1、2は集積回路と記録媒体について、米国のマレーシアと中国からの輸入額の推移を見たものです。まず、半導体については、2017年以降、常にマレーシアからの輸入が中国からの輸入を大幅に上回っており、もとからマレーシアが強かったといえます。一方で、記録媒体については2019年以降中国からの輸入が急減し、マレーシアからの輸入が中国を上回っています。ここには米中貿易戦争の影響が見て取れますが、2020年には中国からマレーシアへの代替がほぼ完了していたと言えます。

この8月にマレーシアの対米輸出が急増したのは、集積回路と記録媒体の輸出急増が主因です。その背景にあるのは、米国でのAI関連を中心としたデータセンター需要の急増ではないかと思われます。マレーシアには集積回路ではインテル、記録媒体ではマイクロン・テクノロジー、ウエスタンデジタル、サンディスクなどが立地しています。こうした企業はいずれも近年、マレーシアで生産設備を大規模に拡張しています。

では、集積回路と記録媒体のどちらが8月の対米輸出急増の主因かと問われると、集積回路であるということになります。記録媒体は7月も前年同月比4.6倍で、このところの対米輸出増加をずっと支えていました。一方、集積回路については7月は16.7%増にとどまっており、8月に2.1倍と急増しました。8月に出荷が始まった半導体、ということでみると、6月にインテルが発表したサーバー向けCPUであるXeon 6の可能性が高そうです。

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【総点検・マレーシア経済】第505回 ブミプトラ経済変革計画2035とは何か(2)

第505回 ブミプトラ経済変革計画2035とは何か(2)

マレーシア政府は2024年8月19日、ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035)を発表しました。この計画は2035年までの約10年間で実施され、ブミプトラの経済参加・所有・支配を拡大し、他の民族との経済格差を縮小することを目的としています。

アンワル首相はPuTERA2035の前文や発言で、それがブミプトラ以外の人々の利益を脅かさないものであることを強調しています。実際に、PuTERA2035の多くの数値目標は、ブミプトラの経済水準を多民族に関係なく引き上げることを目指すもので、例えば「ブミプトラの極度貧困率を0%にする」というようなものです。一方で、連載第504回で指摘した3つについては、民族間の分配の問題にかかわるものです。

中でも、「ブミプトラ個人および機関による株式所有比率を2020年の18.4%から2035年に30%に引き上げる」という目標は重要です。これは、1971年の新経済政策から掲げられてきたブミプトラの株式所有比率を30%にまで引き上げる、という目標を引き継ぐものです。このブミプトラの株式所有比率30%の目標については、2006年にマハティールに近いシンクタンクが「既に30%目標は達成されている」という試算を発表して物議を醸しました。というのも、もしこれが達成されていれば、ブミプトラ優遇政策を続ける根拠のひとつが失われてしまうためです。

このブミプトラの株式所有比率には「個人といくつかのブミプトラ委任機関による保有が含まれる」とありますが、具体的にどのような機関による保有が含まれるかは明記されていません。おそらく、PNBや巡礼基金は含まれるが、カザナ・ナショナルやEPFは含まれない、というようなことだと筆者は推測します。つまり、政府の株式保有はブミプトラによる株式保有とイコールではない、というのが、いまだに30%目標が達成されていないとされる大きな理由であると考えます。

PuTERA2035の中では、この目標を達成するための具体策として、イスラム信託基金の強化やブミプトラ企業の業績を向上させるためのファンドの設立、上場企業の民族別株式保有比率の公開義務づけ、ブミプトラ企業の上場の促進などがあげられています。

こうしてみると、PuTERA2035は民族間の分配問題に最も関係している、ブミプトラの株式所有比率を30%に高めるという目標についても、具体的な政策はブミプトラ企業の支援が中心で、民族間の再分配的な政策ではないことが分かります。つまり、PuTERA2035をブミプトラ政策の強化としてことさらに警戒する必要はないと筆者は考えます。

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【総点検・マレーシア経済】第504回 ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035)とは何か(1)

第504回 ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035)とは何か(1)

マレーシア政府は2024年8月19日に、ブミプトラの経済的地位向上を目指す包括的な計画として「ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035: Pelan Transformasi Ekonomi Bumiputera 2035)」を発表しました。この計画は2035年までの約10年間で実施され、ブミプトラの経済参加・所有・支配を拡大し、他の民族との経済格差を縮小することを目的としています。

2023年9月、アンワル首相は第12次計画の中間レビューに際して24年初にブミプトラ経済会議を開催し、ブミプトラ政策の新しい方向性を決めると予告していました。実際には2024年2月29日~3月2日にかけてブミプトラ経済会議が開かれ、今回のPuTERA2035の発表に至りました。

マレー系などの先住民を優遇するいわゆる「ブミプトラ政策」は、新経済政策(NEP: 1971〜1990年)によって開始されました。その後も、国家開発計画(NDP: 1991〜2000年)、国家ビジョン計画(NVP: 2001〜2010年)と、後継の政策が定められました。

ナジブ政権下で定められた新経済メカニズム(NEM: 2011〜2020年)では、ついに本文中でブミプトラ政策を批判する文言が登場しました。しかし、2013年5月の第13回総選挙でナジブ政権が華人の支持を失ったことで政策は大きく転換され、9月にはブミプトラ経済エンパワーメント・アジェンダが発表され、ブミプトラ政策は強化されました。

その後、2019年にマハティール政権下で繁栄の共有ビジョン(Shared Prosparity Vision: 2021〜2030)が発表されましたが、政権交代が続いたことで位置づけが曖昧になりました。そうした中で、今回、ブミプトラの経済政策に特化した計画として、PuTERA2035が発表されたことになります。

アンワル首相は前文で同計画は「ブミプトラ社会のための排他的な経済計画ではない。むしろ、この計画は、疎外された大多数の人々の経済を推進するのに役立つ」と述べています。また、「ブミプトラ関連の政策は…決してインド人、華人、ましてやオラン・アスリやサバ、サラワクのブミプトラの利益を軽視するものではありません」とコメントしています。

PuTERA2035の中にはブミプトラの経済的プレゼンスについての数値目標が多く上げられていますが、その多くは他の民族にかかわらずブミプトラの水準を引き上げることを目指すものです。ただし、いくつか他の民族との分配の問題に関係するものがあり、具体的には以下の3つです:

・ブミプトラの高度技能職従事率を2022年の61%から2035年に70%に引き上げる

・ブミプトラ個人および機関による株式所有比率を2020年の18.4%から2035年に30%に引き上げる

・政府系企業(GLC)および政府系投資会社(GLIC)を通じたブミプトラの参加と支配を20%に引き上げる

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【総点検・マレーシア経済】第503回 ゆっくりと高度化するマレーシア経済

第503回 ゆっくりと高度化するマレーシア経済

マレーシア政府は現在、高所得国入りを目指して新産業マスタープラン2030(NIMP2030)などを定め、産業の高度化を進めています。1971年の新経済政策(NEP)以来、マレーシア政府は雇用創出を重視し労働集約的な産業を好ましい産業として誘致してきました。しかし、1990年代に入って人手不足が深刻化すると、第7次マレーシア計画(1996-2000年)で知識経済・高付加価値産業の移行を打ち出しました。

2000年代には資源ブームもあって産業高度化は停滞しましたが、ここ10年、再び産業の高度化がゆっくりと進みつつあるとの印象を筆者は受けています。8月上旬にはそうした近年のマレーシア経済を象徴するニュースが相次ぎました。

8月8日、独の半導体メーカーであるInfineon社がクダ州クリムの第3工場の開所式を執り行いました。200mm径のSiCウエハーが製造されますが、これは主に電気自動車用のパワー半導体などに用いられます。これは、いわゆる前工程に属するもので、クリム第3工場は同社が2022年2月に発表した20億ユーロ(3200億円)の工場拡張計画に対応するものです。今後、同社はさらに5年間で50億ユーロ(8000億円)を投じて工場を拡張することを発表しています。

同日、米国の新興電池企業Enovix社はペナン州サイエンスパーク内に同社初の蓄電池の量産工場を開設し、今後15年間にわたり、12億米ドル(1700億円)を投じることを発表しました。同社は小型高性能バッテリーの生産技術を持つ企業で、製品はスマートフォンやIoTデバイス向けに用いられることが想定されます。

さらに同日、中国の奇瑞(チェリー)汽車はスランゴール州シャーアラム工場からASEANに向けた自動車の輸出を年末までに開始し、マレーシアをASEANの自動車生産・輸出ハブにすることを発表しました。同社は10億リンギ(320億円)を投じてマレーシアでの生産能力を拡張することを発表しています。また、同社はシャーアラム工場を右ハンドル車のハブとし、R&D機能を持たせることを計画していると伝えられています。

7月31日、世界銀行はスランゴール州の一人当たり所得が14,291米ドルに達し、世銀の高所得国の基準である14,005米ドルを上回ったことを発表しました。これで、州レベルで高所得国入りの基準を超えているのは、KL、ペナン、サラワクに続いて4つ目となりました。

このように、マレーシア経済はゆっくりとではありますが、確実に産業高度化に向けて進みつつあると言えるでしょう。

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【総点検・マレーシア経済】第502回 マレーシアの2024年第2四半期のGDP成長率、6%前後か

第502回 マレーシアの2024年第2四半期のGDP成長率、6%前後か

7月19日、マレーシア統計局は2024年第2四半期のGDPの事前予測値を前年同期比5.8%増と発表しました。これは、第1四半期の4.2%から大幅に伸びており、8月16日に発表される実際の数値もこれに近ければ、通年成長率の政府予測のである4.0%〜5.0%の達成が確実になるとともに、それを上回る可能性も出てきます。

産業別に見ると、製造業は第1四半期の1.9%増から4.7%増に、サービス業は第1四半期の4.7%増から5.6%増へと加速しています。建設業については、第1四半期の11.9%増から17.2%増と非常に高い伸びを示すことが予想されています。

統計局は8月9日には6月の製造業生産指数を前年同月比5.2%増(5月:4.6%増)と発表し、結果、第2四半期の同指数は4.9%増(第1四半期:2.1%増)となりました。前日の8月8日には6月の卸売・小売り数量指数が発表され、前年同月比4.5%増(5月:5.7%増)となりました。結果、第2四半期の同指数は6.7%増(第1四半期:4.5%増)となっています。

こうした結果を踏まえると、マレーシアの2024年第2四半期のGDP成長率は事前予測値の5.8%を上回り、6%台に乗ること可能性もあると筆者は考えます。マレーシア経済が好調な理由としては、サービス業の伸びが堅調なことに加え、輸出型製造業の回復によって製造業全体も好調になっていることがあげられます。

図は2023年1月〜24年6月までの製造業生産指数の推移です。6月の輸出型製造業の生産指数は前年同月比5.4%(5月:3.7%)となり、内需型製造業の4.6%(5月:6.4%)を上回りました。輸出型製造業の伸びが内需型を上回るのは2022年11月以来、実に1年7ヶ月ぶりとなります。

マレーシアの輸出の主力である電子・電機産業の生産指数が5月の6.9%増から6月には3.7%増へと下落していることが気になるものの、現在のところ、マレーシアの景気は内外需とも概して好調といえるでしょう。

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【総点検・マレーシア経済】第501回 ついに動き出した燃料補助金改革、10年来の課題決着へ(2)

第501回 ついに動き出した燃料補助金改革、10年来の課題決着へ(2)

2022年11月に発足したアンワル政権ですが、首相は就任直後に国家行動委員会・生活費特別会議を主催し、物価対策を最優先課題とすると発言しました。しかし同時に、財政健全化を目標として掲げ「対象を絞った補助金(targeted subsidy)」という言葉を繰り返しました。今回のディーゼル補助金改革は、財政健全化にむけた「対象を絞った補助金」導入の試金石となります。

今回のディーゼル燃料補助金改革は、2024年予算演説で触れられていた3つの補助金の見直し、1)鶏肉と卵、2)電気料金、3)ディーゼル燃料、のうち最後の1つとなります。政府は、2019年以降、ディーゼル燃料を利用する自動車等の数は3%しか増加していない一方で、ディーゼル油の消費量は40%も増加しているというデータを示し、ディーゼル燃料の多くが密輸されている可能性を示唆していました。マレーシアのディーゼル燃料の価格はASEAN諸国ではブルネイに次いで2番目に安く、シンガポールの半値以下、タイやインドネシアと比べても3分の2程度でした。

図は今回のディーゼル補助金制度の改革をチャートにしたものです。まず、補助金を廃止してディーゼル油を2.15リンギから3.35リンギに値上げした上で、業務に利用するディーゼル油については、SKDS1.0(スクールバス、長距離バスなど)、SKDS2.0(物流車両)、漁民についてフリート・カードを発行して割引価格でディーゼル油を購入できるようにしています。一方で、ディーゼル車を保有する一般国民や小規模農家に対してはBUDI Madaniというプログラムに登録することで、月額200リンギを補助金として受け取ることができます。

補助金で対象品の価格を下げるのではなく、対象品を安価に入手できる主体を限定したり、家計に補助金を配ることで対象品の値上がりを補償したり、という手法は、これからも補助金改革で用いられるテンプレートになると考えられます。本来は、こうした複雑な補助金制度を一元的に管理するために、政府は1月にPADUと呼ばれるデータベースを稼働させたのですが、今回のディーゼル補助金制度には利用されていないようです。アンワル政権の補助金改革は、まだ始まったばかりといえるでしょう。

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【総点検・マレーシア経済】第500回 ついに動き出した燃料補助金改革、10年来の課題決着へ(1)

第500回 ついに動き出した燃料補助金改革、10年来の課題決着へ(1)

6月10日、ディーゼル油に対する補助金が廃止され、1リットルあたりの価格は2.15リンギから3.35リンギに56%上昇しました。一方で、ガソリン(RON95)に対する補助金について、アンワル首相は、合理化計画はまだ決まっていないと6月29日に述べています

ちょうど10年前、燃料補助金の改革がナジブ政権下で行われました。段階的な削減の後、2014年12月1日からRON95とディーゼル油の補助金が廃止され、市場価格に基づく管理フロート制に移行しました(RON97は2010年7月から管理フロート制)。

しかし、2018年の総選挙で希望連盟(PH)が公約としてGST廃止と並んで燃料補助金の部分的な復活を掲げ政権交代を果たしました。PH政権下ではまず、RON95の価格が1リットル=2.20リンギに固定され、どのようにして燃料補助金を「選択的」に給付するかについての議論が続けられました。

2019年予算では一旦、RON95を変動価格制に戻す一方で、1)月収4000リンギ以下の家計に対し、2)1500cc以下の自動車と125cc以下のバイクについて、4)それぞれ月間100リットル、40リットルを上限として、5)リッターあたり30センを補助することが決定されました。ところが、2018年末になって、適格者のみに補助金を支払うしくみが確立できなかったため延期となり、RON95の価格は2.20リンギ(2019年3月より2.08リンギ)を上限とする変動制となりました。

2020年予算でも再度、選択的な燃料補助金についての仕組みが発表されました。RON95の価格を完全な変動制にすると同時に、自動車保有者の家計に月額30リンギ、二輪車保有者には月額12リンギを支給するというものです。しかし、これも2020年2月の政権交代によって頓挫し、その後のコロナ禍によって改革は再び先送りとなります。結果、経済活動の再開に伴って原油価格が高騰するとRON95の価格は上限(2021年2月からは2.05リンギ)にはりついたままとなり、差額を埋めるために厖大な補助金の支払いが発生することになりました。

図は2017年3月30日からの直近までのRON95/97の価格の変動(青/橙線)と、価格固定以前のRON97/95の価格差(約13%)から推定されるリッター当たりのRON95の補助金額(黒棒)の推移を示したものです。

2018年の政権交代後〜コロナ禍前までは原油価格が落ち着いていたため、RON95の価格を固定しても補助金額はそれほど大きくなりませんでした。しかし、コロナ禍後に原油価格の急騰とリンギ安によってガソリン価格が高騰すると補助金額が急騰し、一時はリッター当たり2リンギを超える水準にまで上昇しました。現在も補助金額はリッター当たり1リンギ前後で推移し、政府の財政を圧迫していることが分かります(続)。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp