【総点検・マレーシア経済】第549回:日本・マレーシア共同声明を読んでみる

第549回:日本・マレーシア共同声明を読んでみる

6月10日、訪日したアンワル首相と高市首相の間で、日・マレーシア共同声明が発表されました。2023年には当時の岸田首相とアンワル首相の間で、両国関係を「包括的・戦略的パートナーシップ」に格上げする声明が発表されましたが、それ以来の共同声明となります。

今回の共同声明には、経済、安全保障、人的交流、国際情勢の認識共有など、多様なトピックが含まれています。しかし、日本にとって最も重要だったのは、経済安全保障関連のトピックであったと考えられます。

「アンワル首相は、LNG をはじめとする不可欠なエネルギー供給や、ナフサ、尿素及び医療用手袋などの石油・化学製品を含め、日本への開かれた安定的な貿易の流れを促進することについてマレーシアの最大限のコミットメントを表明した」

原油・LNGを産出し、巨大な石油コンビナートも保有しているマレーシアにとっては、サプライチェーンの各所で、ナフサ原料、ナフサ、ナフサ由来の化学製品を日本に融通できる余地があります。もちろん、連載543回で示したように、マレーシア自身も中東から原油を多く輸入しており、余裕があるわけではありません。声明の中でも「マレーシアの国内の優先順位及び利用可能な余剰能力に沿って日本のニーズを支援する方策の検討を含め」と一定の留保がなされています。

それでも、ナフサを中心に石油製品の供給が不安定化している日本にとって、マレーシアからの供給を取り付けることの意味は非常に大きいものです。

一方で、マレーシア側がこの声明で得たものはなんでしょうか。経済関係の協力、例えば原子力発電についての日本からの協力なども目につきました。しかし、筆者は「イラン及びパレスチナ情勢」についての認識をあらためて共有したことも成果であると考えます。

3月24日に行われたアンワル首相と高市首相の電話会談の際には、米国・イスラエルのイラン攻撃を巡る認識の違いがありました。マレーシア側はイラン寄りの姿勢、日本は明確に米国寄りの姿勢です。2日後の26日、アンワル首相はイランと米国の和平仲介役を務めるパキスタンのシャリフ首相と電話会談し、「私も世界各国の指導者たちと対話し、中東戦争の即時終結の必要性を強調している」と伝えました。この指導者に高市首相も含まれるのは明らかです。

今回の声明中の以下の文言は、完全に中立です。

「両首脳は、中東情勢、特にイラン及びパレスチナについて意見を交換し、地域情勢の悪化に深刻な懸念を表明した。両首脳は、事態の早期沈静化実現のため、外交努力の継続が極めて重要であることを再確認し、緊密な連携を継続する意向を確認した。ホルムズ海峡における自由で安全な航行が一刻も早く確保されるよう、引き続き連携して対応することで一致した」

アンワル首相は、国内的な政治的アピールとして3月に下院で米国・イスラエル非難決議を行っていますが、マレーシア外務省はイランに対する攻撃と、それに対する反撃の両方を非難する声明を出しています。アンワル首相がシャリフ首相と緊密に連絡をしていることからも、マレーシアは外交上は「中立」であると考えて良いでしょう。一方で、高市首相は外交の場でも一貫して米国を支持し、イランに対し、譲歩や自重を求める発言を行ってきました。

こうした背景からは、今回の声明で、日本は中東問題についての外交的な立ち位置を「中立」に戻したともいえます。マレーシア側としてはこれを「日本を説得した」と誇れるでしょうし、実は、日本の外務省も伝統的な中東政策のスタンスを確認できたことにほっとしているかもしれません。

いずれにせよ、今回の共同声明では、両国の多岐にわたる具体的な協力関係の促進に言及しており、両国関係は単なる友好国を越えて、「包括的・戦略的パートナーシップ」に相応しい緊密な関係に進みつつあると言えるでしょう。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

【従業員の勤労意欲を高めるために】第926回:やる気が脳を擦り減らす?――仕事への熱意に潜む職種差

第926回:やる気が脳を擦り減らす?――仕事への熱意に潜む職種差

前回は、災害後の急回復と真のレジリエンスの違いについて考えました。今回は、仕事への熱意(ワーク・エンゲージメント)と脳の健康との関係についてです。

一般に、仕事への熱意が高い社員は良い社員だと考えられています。

実際、ワーク・エンゲージメントは、生産性や業績、健康状態などと関連することが多くの研究で報告されています。しかし近年、「熱意が高ければ高いほど良いとは限らないのではないか」という議論も出てきています。過度な仕事への没頭は、疲労やストレス、ワークライフバランスの悪化につながる可能性があるからです。

そこで拙稿では、MRIを用いて脳の灰白質容積(GMV)を測定し、仕事への熱意との関係が職種によって異なるのかを調べました。対象は東京で募集した362名の社会人で、管理職・専門職を「知識労働者」、それ以外を「その他の労働者」として比較しました。

分析の結果、興味深い違いが見られました。

知識労働者では、仕事への熱意が高い人ほど脳の灰白質容積が大きい傾向がありました。特に、意欲や感情に関係する大脳辺縁系との関連が確認されました。

一方で、その他の労働者では逆の結果でした。仕事への熱意が高い人ほど、全脳や前頭葉、大脳辺縁系などの灰白質容積が小さい傾向が見られたのです。

もちろん、この結果だけで「熱心に働くと脳が縮む」とは言えません。今回の研究は横断調査であり、因果関係は分からないからです。

しかし一つの解釈は可能です。

知識労働者の仕事への熱意は、自律性や裁量の大きさに支えられた「やりたいからやる」という形で表れている可能性があります。これに対して、その他の労働者では、「やらなければならない」「期待に応えなければならない」という圧力と結びついた熱意になっている可能性があります。論文では、「情熱の二元論」に従って、前者を調和的情熱、後者を強迫的情熱として説明しています。

企業経営に置き換えると、これは非常に重要な示唆を持っています。

多くの企業は、「社員のエンゲージメントを高めよう」と考えます。しかし、本当に重要なのはエンゲージメントの高さそのものではなく、そのエンゲージメントがどこから生まれているかです。

社員が主体的に仕事へ取り組んでいるのか。それとも、評価への不安や同調圧力によって無理をして頑張っているのか。

表面的には同じ「熱心な社員」に見えても、その内実は大きく異なるかもしれません。

近年、人材マネジメントではエンゲージメントスコアの向上が重視されています。しかし今回の結果は、「エンゲージメントを高めること」よりも、「健全な形でエンゲージメントが生まれる環境を整えること」の方が重要である可能性を示しています。

やる気の高さだけを追い求めるのではなく、そのやる気が自由意志から生まれているのか、それとも圧力から生まれているのか。これからの組織づくりでは、その違いに目を向ける必要があるのかもしれません。

論文情報は以下。末尾のURLから概要をご覧いただけます。

Kokubun, K., Nemoto, K., & Yamakawa, Y. (2026). Occupational Differences in the Association Between Work Engagement and Brain Gray Matter Volume. Current Psychology, 45, 931.

https://doi.org/10.1007/s12144-026-09489-5

 

國分圭介(こくぶん・けいすけ)
京都大学経営管理大学院特定准教授、機械振興協会経済研究所特任フェロー、東京大学博士(農学)、専門社会調査士。アジアで10年以上に亘って日系企業で働く現地従業員向けの意識調査を行った経験を活かし、組織のあり方についての研究に従事している。この記事のお問い合わせは、kokubun.keisuke.6x★kyoto-u.jp(★を@に変更ください)